続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)いつはつや。

2021-08-04 07:05:48 | 飯島晴子

   いちはつや遠近に人の喉立ち

 いちはつ(鳶尾)はエン・ビと読んで、艶、美。
 遠近はエン・キンと読んで、媛、衿。
 人の喉立ちはニン・コウ・リュウと読んで、忍、香、留。
☆艶(艶めかしく)美しい媛(女性)、衿に忍ばせた香りを留めている。

 いちはつ(鳶尾)はエン・ビと読んで、円、鼻。
 遠近はエン・キンと読んで、厭、僅。
 人の喉立ちはジン・コウ・リツと読んで、刃、考、慄。
☆円い鼻は厭(嫌い)である。
 僅(少し)刃(刃物で切ること)の考えに慄いている。

 いちはつ(鳶尾)はエン・ビと読んで、演、備。
 遠近はエン・キンと読んで、縁、筋。
 人の喉立ちはジン・コウ・リツと読んで、腎、講、立。
☆演べることを備(あらかじめ用意しておく)。
 縁(つながり)の筋(すじ)は腎(要)であり、講(話)を立たせる。

※いちはつ(鳶尾/一八)の美しさ、遠く近く人が行き交い立ち止まり眺めている景がある。


D『自転車の車輪』2。

2021-08-04 06:25:03 | 美術ノート

 円、回転するものであることは重要である。動く、回る、巡廻、元に戻る…地球の在り様を縮小すればこんなものであり、ほとんど感じし得るかぎり等しい時空である。
 白く塗られた丸椅子は《空》に置き換えてもいいかもしれない。危うい接続であるが、この存在は太陽がある限り守られている。

 と、考えると、第三者であるこの作品を凝視する(わたくし/デュシャン)は太陽である。この車輪に手を触れる刹那、わたしは太陽になりうる。この関係の心地よさ、この関係の不変にわたしは属している、わたしが世界の中心である。

 この想像、この答えに震撼とする。
 なぜなら、わたしは地球を動かすものであり地球はわたしになり得るからである。

 自転、世界はわたしのエネルギーで動くという小さな発見は秘密である。誰にも言えないがわたしは愉快にこの作品に興じている。独身者の器具、わたしだけの器具である。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


『Die Baume』

2021-08-04 06:14:51 | カフカ覚書

   『追放』

 なぜなら、わたしたちは滑稽な話(馬鹿話)の追放された一族なのだから。
 熊座(大熊座/北極星の周りを回るもの)は明らかに存在する。
 氏族の不快の念は押しのけるべきであるが、そうはいかないで固く結びついている。しかしながら、見よ、それはただ単にそう見えるだけなのである。(北極星を死(異世界)への入口と任意に考えている)