続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)うとうとと。

2021-08-13 07:27:33 | 飯島晴子

   うとうとと骨肉わけて蓮紅し

 骨肉わけた(骨肉分)はコツ・ニク・フンと読んで、乞、悪、憤。
 蓮紅しはレン・クと読んで、憐、苦。
☆乞(ものごい)は悪く、憤(いきどおる)が、憐(かわいそうに思い)苦(つらくなる)。

 骨肉わけた(骨肉分)はコツ・ニク・フンと読んで、惚、肉、芬。
 蓮紅しはレン・クと読んで、恋、躯。
☆惚(うっとりする)肉の芬(香ばしい香り)の恋(思い焦がれる)躯である。

 骨肉わけた(骨肉分)はコツ・ニク・ブンと読んで、滑、肉、文。
 蓮紅しはレン・クと読んで、連、句。
☆滑(滞りなく進む)肉(内容の膨らむ)文、連(並べてつなげる)句がある。


鈴木しづ子(私的解釈)肉感に。

2021-08-13 07:05:48 | 鈴木しづ子

   肉感に浸りひたるや熟れ柘榴

 熟れ柘榴、それこそかっと割れたる柘榴を目の前に置くと、戸惑ってしまう。
 種を包む赤いゼリー状の液体、流れるでもなく留まって透き通るような真紅。数多の種が真紅をまとって割れた固い皮の中で凝縮している、どこから、どうやって口に入れたものやら判断が付きかねる柘榴の実である。
 指で押しつぶせば赤い汁が滴る、その感触はどこか肉感的である。指でもてあそぶ赤い汁をまとった小さな粒、口に入れれば少し淋しく物足りない。一度にたくさん含めば息が詰まる。
 赤い実を露にした熟れ柘榴は、肉と血の小さな風景。手に持ち、浸っていると、自身の中の血が騒いでくる。


D『秘められたる音』2。

2021-08-13 06:42:00 | 美術ノート

 音、だれが音を目撃したでしょう。だれが音をその手で捕まえたでしょう。
 音波の形を変え記号として視覚化できるけれど、それは音の実態ではない。
『秘められたる音』、音を厳重に包囲するなんて、滑稽ですらある。

 無を囲む大げさな無為に鑑賞者は誘導され考え込んでしまう。(この中に《音》があり、隠している)、人が音を幽閉する・・・物理的に極めてギリギリ無(ゼロ)に近い状態に持っていくことが可能かもしれないと考えるところに曖昧さを許す脳の働き緩みがある。

 音の本質、他動という作用を思えば、絶対に『秘められたる音』などというものは存在しない。
 存在しないものを存在しているとして、他者を誘導する、デュシャンの常套手段でもある。
《無を有として思い描けよ》という命題は、決して解けることのない問いに過ぎない。しかし、デュシャンはその隙間に息を殺して答えを待っている。答え無き問いである故に答えの動向に目を凝らしているのである。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


『セロ弾きのゴーシュ』6。

2021-08-13 06:19:07 | 宮沢賢治

 第一夜、三毛猫の登場。
 二十日過ぎの月のひかりが室のなかへ半分ほどはひってきました。

「二十日過ぎの月」「もうあと十日しかないんだよ」
 つまり三十日には演奏会があるということである。三十日の月、すなわち一日(朔日)。黒い月が立つ、その時起きる天体ショーへ向けてゴーシュは練習しているという設定である。

 嵐のやうな勢で「印度の虎狩」といふ譜を弾きはじめました。
 インドの虎狩り・・・インドラ(雷の神様)
 ゴーシュが奏でることのできる唯一の光と音の演奏、雷光はゴーシュ(地球の精神)の努力の賜物という想像力あふれるユーモアです。