続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『洞熊学校を卒業した三人』47。

2012-12-28 06:51:25 | 宮沢賢治
かたつむりは
「ねめくぢさん。今度は私もすっかり困ってしまひましたよ。まだわたしの食べるものはなし、水はなし、すこしばかりお前さんのうちにためてあるふきのつゆを呉れませんか。」と云ひました。

☆魂(精神)の図りごとを、詞(言葉)に混ぜる自記である。
 推しはかる善(道徳に適った行い)の語(言葉)を運/めぐらせている。

『城』1137。

2012-12-28 06:34:38 | カフカ覚書
この三つの記念の品は、あなたから見たら、あるいはつまらぬものばかりかもしれません。でも、フリーダを見てごらんなさい。あの子は、クラムとあれほど長く交際をしていながら、一つの記念品ももっていません。

 記念品/Andenken→ennden/死ぬ。
 三つ/drei→drang/圧迫。
 少しも~ない/kein→kahn/小舟。
 長く/lange→Rank/陰謀。

☆この圧迫された死はあなたから見たらおそらく微細なことかもしれません。でも、フリーダ(平和)を見てごらんなさい。クラム(氏族)の陰謀が、死の終りの小舟を連れてくることはありません。

白菜。

2012-12-27 06:46:30 | 日常
 白菜を一年中常備している、けれど旬は今。みずみずしい白菜が店先に二つ束ねて380円くらいで売られている。

 二つは要らないと、やりすごしながら・・・束の白菜を担いで帰り、ざっくり切って半日ほど干し漬け込んだ懐かしい思い出。毎年当たり前だった作業とも近ごろは無縁になってしまった。


 白菜はスーパーで買うことが殆どだけど、この季節だけは農家の野菜販売車からも購入する。ただ問題はすごい虫やその卵。
 最初は知らないからそのまま一枚づつ剥がしていたら、大きな穴・・・白菜の中で虫が美味しく食していた白菜は虫の成長を促しただけで廃棄処分にしたことがある。それからは用心深く老眼鏡をかけて観察。
 今回も《いる、いる》こまかい虫がいっぱい付着。
 四つ割りにし、外の水道でジャブジャブ洗い流した。結局、久しく作ることのなかった白菜漬けに。


「できるだけ農薬は使わないようにしている」というHさんを信頼して買っている野菜。スーパーで購入する白菜が虫喰いだらけなんてことは無い。

 どちらにするか・・・。迷うことなく両方を買って臨機応変、一生懸命野菜を食べている。

 野菜の価格はスーパーもHさんもほぼ同じ。「高いから買わない」と言う人がいる。ここらあたりでは買い物に不自由をきたしている年配者がお客さんであるらしい。
 チャイムが鳴って出て行くのは億劫でもある。ただ、(日本の農業はどうなるの?)という気持ちも手伝って、在宅でさえあれば、必ず外へ出て一品でもHさんの野菜を分けてもらっている。
 白菜の季節は軽トラに山積みである。「虫がねぇ」と、文句もいっぱい言われているかもしれない。

『城』1136。

2012-12-27 06:21:12 | カフカ覚書
そのわたしでさえ、打明けて申しますとね、この三つの品がなかったとしたら、宿屋のお内儀の生活なんかにこんなに長いあいだ我慢してこれなかったでしょう。それどころか一日だって耐えられなかったでしょう。

 三つ/drai→drang/圧迫。
 少しも~ない/keinen→kahn/小舟。
 一日/Tag・・・集会。

☆この圧迫(荒れ野、悪意、うわべを偽ること=嘘)のために、こんなに長いあいだ耐えてきたんです。たぶん、小舟での集会に耐えてきたのです。

感激!

2012-12-26 07:07:39 | 日常
 サークルの山口さんが見せてくれた《蝉の折り紙》、あんまりすごいので「どこで?」と聞いたら、「『55』っていう北久里浜にある喫茶店に置いてあるわ」という。

 隣家の奥さんが施設に入所して久しいけれど、ほとんど寝たきりなので、花などは不向きとのこと。食べるものも何か器具をつけているし・・・。

(これなら!)いいかもしれない。

 昨日出かけてみると、確かにありました。見ているうちに(あれもこれも)欲しくなり、結局10個余りを購入。
 それにしてもすごい!
 今朝、作者である篠田祐介さんのホームページを拝見、まだまだ沢山の種類があることを発見(すごいわーっ)。

 手先が器用って、普通、こんなの出来ます?ッて、詰め寄りたいくらいのレベル。ただひたすら感激して眺め入ってしまいました。

『洞熊学校を卒業した三人』45。

2012-12-26 06:30:03 | 宮沢賢治
  二、銀色のなめくぢはどうしたか。

 丁度蜘蛛が林の入口の楢の木に、二銭銅貨の位の網をかけた頃、銀色のなめくぢの立派なうちへかたつむりがやって参りました。


☆吟じる自記。
 懲(こらしめること)を図る千(やくさん)の手(方法)、倫(人の行うべき道)の新しい考えである。
 幽(死者の世界)は黙っている。
 字(文字)の遷(移り変わり)の働きで化(形、性質を変えて別のものになる)。
 異なる妄(空想)計(もくろみ)を吟じる自記である。
 律(物事の基準となる決まり)は、太陽である。

『城』1135。

2012-12-26 06:18:21 | カフカ覚書
わたしは、フリーダのように若くもなければ、野心もありませんし、感じやすくもありません。ふりーだは、とても感じやすい子です。要するに、わたしは、人生というものと折り合うことができます。

 野心/ehrgeizig→einzig/唯一無二の。
 人生/Leben・・・伝記。

☆わたしはフリーダ(平和)のように新しくもなければ唯一無二でもなく、静けさで満たすこともありません。要するにわたしは伝説で定められ、認められたものにすぎないんです。

DNAの影。

2012-12-25 06:58:50 | 日常
 誰に対しても親密度が低い。というか、わたし自身が忘れられたような存在である。

 母方の従姉妹などは「叔母さんは元気にしているかしら」とご機嫌伺いにちょっと立ち寄ったりしているけれど、わたしはそういう気遣いに欠けている。
 そんなだから、息子たちも頻繁にやって来ることはない。電話をしても「なに?」という感じで、こちらは(あっ、悪かったね)と、気分はぺしゃんこ。

 
 何年か前、通夜の席で会った父方の従兄弟は
「ああ昨日、7年ぶりにおふくろを見たけど、最初誰だか分からなかったよ」と言った。(7年ぶり?)
「おふくろも、もうダメだな。相当弱っているよ」と他人事のようにつぶやいたときには驚いてしまった。

 この血がわたしにも、息子たちにも流れている。冷たく寂しい血である。

 この従兄弟、執着も何もない。離婚後、海外主張を経ての居住(アパート)探しを友人に委ねた。寝に帰るだけという暮らしをしていたら、元妻の再婚後の所帯の二階に半年も住んでいたことが判明。
 他人から見たらストーカーそのもの。内実はストーカーとは真逆の無関心。
「だって子供の顔を見たら分かるでしょう」
「赤ん坊だったからな・・・」
「・・・」
「下水が詰まったんで下の階に行ってドアを開けたら前の女房だろう、びっくりしたよ」と笑い「もちろんその週末には引っ越したさ」と言った。


 信じがたい無関心、信じがたい愛情の希薄さ、・・・息子たちの無関心は息子たちのせいではなく、流れる血(DNAの影)のせいなのかもしれない。

(従兄弟のA兄に会ったのはそれこそ50年ぶりだったのに、ラッシュ時の電車の中で遠くにA兄の目を見たとき《父》を直感。降車後バス停に並んで初めてA兄であることを確認。A兄の咳き込みようは正に父そのものだったことにも驚かされた)

『洞熊学校を卒業した三人』44。

2012-12-25 06:48:05 | 宮沢賢治
 ちゃうどそのときはつめくさの端のさくころで、あの眼の碧い蜂の群は野原じゅうをもうあちこちにちらばって一つ一つの小さなぼんぼりのやうな花から火でももらふやうにして密を集めて居りました。

☆化(教え導く)が現れる璧(美しい玉、立派なもの)は宝の群(あつまり)也。
 言(言葉)に逸(かくれた)溢れる照(光)。
 果(原因があって生ずるもの)の過(あやまち)が満ちている衆(人々)の虚しさ。