続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

いまどきの女子高生。

2014-07-20 07:10:56 | 日常
 バス停で隣に座っている女子高生二人の会話が洩れ聞えてきた。
「明日彼と映画を見に行くんだ」
「彼って、あのクリスマスの?」
「ああ、あの彼とはもう別れたわ」
「えっ、じゃあ・・どの彼?」
「クリスマスのあとから三人くらいいるからね。でも、クリスマスの彼とも仲良くやっているよ」
「わたしの知っている人?」
「A君だよ」「ああ・・・」

 何気なく顔を見たいところだけど、むしろ顔は逆方向に・・・いかにも聞いていないという感じで。
(見たいな、でも、おばさんて嫌ね)って表情をされたら(わたしが傷つく?)


 バスに乗るときにさりげなく彼女たちを少し遠目に見た。普通の高校生、つけまつ毛や赤いマニキュアをしているわけでもなく髪も染めていない。
 ふと考えた。つけまつ毛や赤いマニキュアの娘は、それを愉しんでいるだけで彼とは無縁ということもある。単に(ちょっと見て)と気を惹いているに過ぎないのかもしれない。
 そして今や、女子高生にとって《彼という存在》は、普通の事なのだろうか。


 67才のおばさんは考えてしまう。恋愛とは無縁だった淋しい我が経歴。
「彼がね・・」とか、「ああ、あの彼じゃなくて背が高いほうの・・」なんて、普通に話してみたかったなぁ。

『ポラーノの広場』402。

2014-07-20 07:02:43 | 宮沢賢治
デステゥパーゴは毒蛾のためにふくれてをかしな恰好になった顔でなゝめにわたくしを見ながらぶるぶるふるへてまるで聞きとれないくらゐ早口に云ひました。


☆独(ひとり)で画(えがき)書く講(はなし)である。
 信仰の現れる文(文章)は、双(ふたつ)の講(はなし)で運/めぐらせている。

『城』1688。

2014-07-20 06:47:31 | カフカ覚書
 Kがよごれた水のはいっているバケツを運びだし、新しい水を入れてきてから、教室を掃きにかかったとき、十二歳ぐらいの少年が、生徒用の長椅子のところからつかつかとそばに寄ってくると、Kの手にさわって、なにやら言ったらしいが、この大騒ぎのなかでは、なにを言っているのか、まるで聞きとれなかった。


☆Kが苦悩の涙のあとに新しい涙を流してから、罪過のテーマを向け始めた時、先祖の不安に十二使徒がやってきた。Kの一族に言及し、なにやら言ったらしいが、大騒ぎの中では何を言っているのか全く聞きとれなかった。

眼科医院 ②

2014-07-19 06:48:19 | 日常
 眼科医院で処方された抗菌目薬、一刻も早く直そうと、ジャブジャブという感じで暇さえあれば点けていた。
 翌日はたしかに症状は改善したのに、むしろ・・・赤みが退かない、どうして?ちょっと間の中がゴロゴロする(気のせいに過ぎない)そう無理にも思いこんだものの診察の再来日の昨日、バスに乗っていても目薬を使わずにはいられない。


 かくして医師は
「ああ、傷だらけですね」(ええっ!!)
「目薬はつけましたか」
「はい、幾度も」
「どのくらい?」
「ハイ、数え切れないくらい」
「あの薬はですね、抗菌ですから、眼をも傷めてしまうのです。『一日三回』と言いましたよね」と、医師。
「はい、そう聞きました」(たくさん点ければ治りが早いと思ったものですから)

「では今度は、無菌の目薬を出しましょう、今度は一日十回くらい点けてください。今の薬はやめてください。」
「はい・・・」

「緑内障でも白内障でもありませんが、次は検査をいたしましょう。視力のほうは、0.7と0.8です」
 近く(老眼)も遠くも見えにくくなった昨今、一度は眼科医院での検査は必須と覚悟していたので仕方のない流れ。

 
 今朝は眼の中のゴロゴロも納まって快調、赤くもない。(ほっ)

 
 それにしてもお年寄りが自分の判断あるいは錯覚で、処方とは違う服用をする事故を聞くけれど、(ああ、なるほど)くれぐれも気をつけなくてはと思った次第・・・。十分年寄りの域に入っているわたし、よくよく気をつけなくては!!

『ポラーノの広場』401。

2014-07-19 06:40:07 | 宮沢賢治
「イーハトーヴォの警察ではファゼーロといっしょにあなたもさがしてゐるのです。もうすっかり手配がついてゐます。今夜はどうなってもあなたは捕まります。ファゼーロはどこにゐるのです。」わたくしは思はずうそをついてしまひました。


☆継(つなぐ)冊(書付)は、主に拝(神仏をおがむこと)にある。
 金(尊い/美しく立派な)野(自然のまま)を補(とらえる)詞である。

『城』1687。

2014-07-19 06:12:34 | カフカ覚書
しかし、女教師のほうも、ただちらりと横眼を使ってKの侮辱に答えただけで、あとは猫の世話にかかりきり、したがって、どうやら最初の怒りは、罰に血をながさせたことで満足できたようだったので、Kは、フリーダと助手たちを呼びだし、仕事がはじまった。


☆しかし、先祖は教示をチラッと見て侮辱に応じただけで、連鎖は残っていた(消えなかった)。拘留への烈しい怒りは、罰としての残虐を満たしたように見えた。Kはフリーダ(平和)と助手(脳、知覚)を呼び戻し、現場不在証明に着手した。

緑のカーテン。

2014-07-18 06:25:30 | 日常
 夏の恒例、緑のカーテン。
 ここのところゴーヤを数年続けている。実はすでに三本を収穫、次々になるところを見るとゴーヤに限り連作の心配は無用なのかもしれない。
「苦さをとってくれれば食べられるんだけどな」と、夫。無言でわたしばかりが食べている。
「どこかへあげたら」というけれど、好き嫌いが多い食品、むやみに「どうぞ」というわけにもいかない。

 ゴーヤを思いっきり食べると、(痩せる)・・・この思いがわたしを支えている。
 かつて鈴木その子さんの著書『痩せたい人は食べなさい』を読んで感動したことがあるけれど、「肉は湯通ししなさい」など結構手間のかかる食べ方だったので、いっぱい食べる前に疲れてしまい長続きしなかった。
 ダイエットを意識したことはなかったわたし、でも、ふと気付いたら(ほんの少しだけれど)痩せていたと実感できたのはゴーヤを無茶食いした結果だけ。だから・・・今夏も。(えへへ・・)

『ポラーノの広場』400。

2014-07-18 06:10:53 | 宮沢賢治
「デステゥパーゴさん。しばらくでしたな。」
 デステゥパーゴはぎくっとして棒立ちになりましたがわたくしを見ると遁げもしないでしょんぼりそこへ立ってしまひました。
「ファゼーロをたづねてまゐったのですがどうかお渡しをねがひます。」
 デステゥパーゴははげしく両手をふりました。
「それは誤解です。あの子どもはわたくしは知りません。」
「いったいそんならあなたはなぜこんなところへかくれたのですか」
 デステゥパーゴはまっ青になりました。


☆某(なにがしかの)律(きまり)が現れる。
 惇(まこと)の図りごとは、霊(死者の魂)の趣(考え)を語(ことば)で開くことであり、語(ことば)で解(問題をとく)試みは緻(細かく)省(注意してみること)である。

『城』1686。

2014-07-18 05:57:53 | カフカ覚書
 むろん、子供たちをおもしろがらせるために言ったのではなかった。子供たちのわめき声や笑い声は、もうとどまるところを知らず、これ以上さそいの水をかけたり、油をそそいだりする必要はなかったし、なにか言ったところで、言葉が聞えるわけでもなければ、反響をよぶわけでもなかった。


☆むろん、子孫のためなどではなく、噂(悪評)はとどまる所を知らず、これ以上の誘因、あるいは刺激(促し)は必要なかったし、言葉を貫くことも影響を与えることもなかった。

物忘れ。

2014-07-17 06:34:10 | 日常
 物忘れ・・・昔から物忘れの名人だったから、世間でいう成績のほうはいま一つ、と言うか、端から覚えようとする意志の欠けた子供だったような気もする。

 そういう子供であったわたしは、世間並みに老後の域に達した今、人並外れた忘却力に戸惑いを感じている。
「みんなそうよ」と、友人たちはお互いを慰めあっている。
 しかし、わたしのは幼少時から鍛え上げた忘却力である。(比較にならないわ)などと声高に言うのも恥ずかしいので黙っているけれど、それはそれは・・・ひどい。

「ええと、何しに来たのかな」「何でわたしはここに立っているの」「次は何をするんだっけ?」

 自分という存在がぼやけて見えないほど混乱と失意の中にいる。

 とにかく、分かっていることを、今、しよう!
 でないと、次につながらない。

 大事なことを忘れているのではないか、という不安は常に付きまとっている。何かがどこかで他人事のように欠落し、崩壊していく。その何かの正体が見えない。
(まずいな、まずいな)この動揺を打ち消すためにTVという他人思考に嵌り、ひたすら何かを食べ続けているという堕落した日常。


《これがわたしなのだ!》と開き直って笑ってしまうこと。精神の浄化作用は案外易しいことなのかも知れない。(けれど、それではわたしは空無に帰していく・・・)いえいえ、それでいいのだと・・・いえいえ、そうでしょうか。
 道に迷ってばかりのわたし、《道は自ら作るのだ!》という気概が欲しい。

 考えてみると物忘れなんて、本当は強い味方。過去のことを忘れたいばっかりに忘却力が増幅したのかもしれない(バンザイ!)