続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『城』3620。

2021-03-26 05:55:20 | カフカ覚書

ねぇ、わたしたちは、三人で暮らしていて、退屈したことなどありませんのよ。人生は苦いものですから、自分の手で甘くしなくてはなりません。わたしたちの人生は、小さいころからすでに苦いものになっていました。今は、三人いっしょで、あの部屋でできるかぎり愉快に暮らしています。とくにヘンリエッテは、あなたのお気に召すに違いありません。エミーリエも、そうでしょう。


☆わたしたち三人でいて退屈することはありません。人生の辛いことや不愉快なことなどを、楽しいものにしなくてはなりません、。わたしたちの人生は若いころからひどく辛いものでした。今はそこで、三人いっしょに小ぎれいに暮らしています。とくにヘンリエッテは木に入るでしょう、エミーリエもまた同じです。わたしたちはすでにあなたのことを話しているのです。


『飯島晴子』(私的解釈)山姥の。

2021-03-25 10:28:07 | 飯島晴子

   山姥の袋は流れ秋の木々

 山姥はサン・ボと読んで、産、母。
 袋は流れはタイ・リュウと読んで、諦、流。
 秋の木々はシュウ・モク・モクと読んで、終、黙、目。
☆産(子供を産み)母になることを諦(あきらめたらしい)。
 流れて終わったこと(流産)を黙って目(目配せした)。

 山姥はセン・ボと読んで、潜、暮。
 袋は流れはタイ・リュウと読んで、態、粒。
 秋の木々はシュウ・ボク・モクと読んで、集、睦、黙。
☆潜(身をひそめる)暮らしの態(ようす)は粒(米粒)を集め、睦まじく朴(ありのまま)である。

 山姥はサン・ボと読んで、算、簿。
 袋は流れはタイ・リュウと読んで、他意、留。
 秋の木々はシュウ・モク・モクと読んで、師友、目、黙。
☆算(見当をつけて)簿(ノート)に他意を留めている。
 師友には目(狙い)を黙っている。


『飯島晴子』(私的解釈)ほろほろと。

2021-03-25 10:11:38 | 飯島晴子

   ほろほろと茸こはるゝ眠姥

※軽くて小さな茸が壊れていくように、ほろほろと眠り(死)についた老女である。

 茸こはるゝ(茸壊)はジョウ・カイと読んで、冗、戒。
 眠姥はミン・ボと読んで、民、模。
☆冗(不必要な)戒(用心をする)民の模(ありさま)がある。 

 茸こはるゝ(茸壊)はジョウ・カイと読んで、帖、回。
 眠り姥はミン・ボと読んで、民、模。
☆帖(書付)を回す民の模(手本)。

 茸こはるゝ(茸壊)はジョウ・カイと読んで、静、海。
 眠り姥はミン・ボと読んで、眠、暮。
☆静かな海、眠(目を閉じて休む)暮(日暮れ)である。


『飯島晴子』(私的解釈)胎教の。

2021-03-25 07:13:24 | 飯島晴子

   胎教のむらさきの木の実など降り

 むらさきの木の実(紫木実)はシ・キ・ミと読んで、式、実。
 など降り(等降)はトウ・コウと読んで、当、恒。
☆胎教(胎児に良い影響を及ぼすよう、妊婦が精神の安静と修養に努めること)の式(方法)は実(まったく)当(今も)恒(変わらない)。

 胎教はタイ・キョウと読んで、頽、怯。
 むらさきの木の実(紫木実)はシ・ボク・ジツと読んで、姿、撲、実。
 など降り(等降)はトウ・コウと読んで、蕩、慌。
☆頽(衰えること)に怯(おびえている)姿を撲(打つ)。
 実に蕩(だらしなく)慌(動揺しうろたえている)。

 胎教はタイ・キョウと読んで、他意、況。
 むらさきの木の実(紫木実)はシ・モク・ジツと読んで、旨、黙、実。
 など降り(等降)はトウ・コウと読んで、套、考。
☆他意の況(ありさま)の旨(考え)を、黙っている。
 実(内容)は套(覆って)考えている。

 胎教はタイ、キョウと読んで、諦、胸。
 むらさきの木の実(紫木実)はシ・モク・ジツと読んで、思、黙、実。
 など降り(等降)はトウ・コウと読んで、答、請う。
☆諦(あきらめる)胸(心の中)の思いを黙っている。
 答(問いに答えること)を、請う(望み、願っている)。


R.M『巡礼者』

2021-03-25 06:26:37 | 美術ノート

   『巡礼者』

 信仰のために聖地を回る人・・・着衣から顔面が外れている。
 これはどういうことだろう。物質と精神の離脱、何も持たず、捨てるという意味だろうか。穏やかな表情、不足なく満たされている生活者の顔である。
 バックは薄青紫のベタ、時空を問わない不変の清浄さ。『観念』の渋いオレンジ(暖)と『巡礼者』の淡いブルー(冷)に潜むものは何だろう。

 冷静さは強い信念によるものかもしれない。
『観念』では顔がリンゴになっていたものが『巡礼者』ではリアルであることの差異。顔、つまり人間の顔である。
 人であることの儀礼を備える根拠は信仰にあり、敬虔な信徒である男の平穏に結びついている。

 ならば、なぜ切り離す必要があったのだろう。着衣(生活・地位)との離脱。神を崇拝し、近づくための聖地巡礼。願望だろうか、義務化はないか。迷いなく巡ることの喜悦、しかし、男の眼差しは微妙にずれていて、信念というより若干の不安を秘めている弱さは、物思い、愁い、充足感をも孕んでいる。

 巡礼の悲願、しかし、物心一体、真の行脚は難しい。にも拘わらず、巡礼者はすべてを肯定し敢行を貫く。
 着衣と顔面の距離(離脱)、背景の微妙な青色、これがマグリットの巡礼者への敬意をこめた感想である、と思う。


 写真は『マグリット』展・図録より


『城』3619。

2021-03-25 06:15:51 | カフカ覚書

「それは、つかまったからですわ。わたしたちのところにいらっしゃれば、つかまることなんかありませんわ。だれも、あなたのことを、知らないでしょう。知っているのは、わたしたち三人だけですわ。ああ、愉快な生活になりますわ。わたしは、いまからもうあそこの生活がつい先ほどまでよりずっと耐えやすいような気がしてきました。いまなら、この酒場から追いだされても、あるいはたいして失うものがないかもしれませんわ。


☆わたしたちのそばにいれば、捕まることはありません。誰もあなたを知らないでしょう。知っているのはわたしたち三人だけです。楽しくなるわ。わたしは来世の生活も今よりずっと楽しいものになると思います。たぶん、そこ(酒場/死の入口付近)を通って来世に行かなくてはならないとしても、失うものはありませんから。


『飯島晴子』(私的解釈)露の山。

2021-03-24 07:08:36 | 飯島晴子

   露の山くるしい髯は木にかけむ

 露の山はロ・サンと読んで、魯山人。
 くるしい(苦)はクと読んで、句。
 髯は木にかけむ(髯木掛)はゼン・ボク・カと読んで、全、朴、嘉。
☆魯山人の句(言葉)の善(正しいこと)は、朴(ありのまま)が嘉(優れている)ということである。名言「天然の味に優る美味はなし」がある。

 露の山はロ・センと読んで、露、戦。
 くるしい(苦)はクと読んで、懼。
 髯は木にかけむ(髯木掛)はゼン・モク・カと読んで、前、黙、荷。
☆露(ロシア)との戦いを懼(畏れる)。前(過去のこと)を黙って荷(身に引き受けている)。
 1945年のソ連との不可侵条約の破棄、北方領土返還交渉は未だ・・・。

 露の山はロ・サンと読んで、露、惨。
 くるしい(苦)はクと読んで、苦。
 髯は木にかけむ(髯木掛)はゼン・ボク・カと読んで、全、僕、過。
☆露(さらけ出された)惨めな苦しみは、全て僕(わたくし)の過(あやまち)である。

 露の山はロ・サンと読んで、露、三。
 くるしい(苦)はクと読んで、句。
 髯は木にかけむ(髯木掛)はゼン・モク・カと読んで、繕、目、和。
☆露(現れる)三つの句(ひとまとまりの言葉)を繕い、目(ねらい)を和(調合する)。 


R.M『観念』

2021-03-24 06:36:47 | 美術ノート

   『観念』

 スーツにシャツにネクタイ、ただ、それだけで社会人の男性を想起する。見ると首(身体)はなく、頭部の位置にリンゴが一つ浮いており、背景はオレンジ色のベタである。

 この不思議で衝撃的な絵も見慣れてくると、《あっ、マグリットね》くらいの感想になり、マグリット=『観念』の作品になり、作家の意図にかかわりなく象徴として鑑賞者の脳に刻まれていく。

 要するに経験上つみ重ねた情報処理機能の働きである。
《スーツの中には男性の身体があり、その上には男性の頭部(顔)がある》という固定された意識が働くのである。当然、当たり前、それ以外の答えがないという精神的な思い、表象、概念である。

 絶対、決定的な事項・・・それらの習得は時間とともに領域や数量を増殖していく。それらは時代の変遷により、事情が変化していく可能性を秘めているが、基本である人体は決定事項である。

 ゆえに着衣の上着の上には顔(頭部)があり、それがリンゴにすり替わっても、リンゴが顔なのである。この絵を見てリンゴをリンゴそのものとして「美味しそう!」と声を上げる者は滅多にいない。『観念』とはそれほどに事物と固く結びついた約束事項なのである。


 写真は『マグリット』展・図録より


『城』3618。

2021-03-24 06:23:23 | カフカ覚書

ね、来てくださるでしょうね」
「そんなことをしても大丈夫なのかね。だって、きのうは、あそこの廊下にいたところをつかまえられて、大きなスキャンダルが起こったばかりなんだぜ」


☆ね、来てくださるでしょう?どういしてくださるでしょう」
 だから、あなたたちを襲って捕まえる幽霊なんて大きな誤解(醜聞)にすぎません。


『飯島晴子』(私的解釈)夭折の。

2021-03-23 07:33:44 | 飯島晴子

   夭折のダリヤの影を濃く来しか

 ダリヤはダイアナを暗示しているのではないか。
 影を濃く来しかはエイ・ノウ・ライと読んで、英、悩、頼。
☆夭折のダイアナ妃(36才没)は英国(イギリス)で悩み、頼(誰かに助けを求めただろうか)。

 夭折はヨウ・セツと読んで、用、拙。
 影を濃く来しかはエイ・ノウ・ライと読んで、裔、悩、頼。
☆用(働き/仕事)が拙(つたない)ので、裔(跡継ぎ)に悩み、頼(他の者の助けを期待する)。

 夭折はヨウ・セツと読んで、ヨウ・セツと読んで、要、設。
 影を濃く来しかはエイ・ノウ・ライと読んで、詠、脳、礼。
☆要(まとめ合わせること)を設(こしらえて)、詠む。
 脳(頭や精神の働き)に、礼(敬意を払う、感謝する)。