続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『水仙月の四日』40。

2021-11-04 06:30:22 | 宮沢賢治

 雪童子は、も一度走り抜けながら叫びました。子どもは口をびくびくまげて泣きながらまた起きあがらうとしました。
「倒れてゐるんだよ。だめだねえ。」雪童子は向ふからわざとつきあたつて子どもを倒しました。

 起きあがろうとしました。→起上はキ・ショウと読んで、鬼、生。鬼(死者)として生まれる/死。普通に読めば起きあがろうとするのは、生きようとする意。何気ない行間に二重の意味が揺れている。
 倒れているんだよ。→倒はトウと読んで、闘あるいは禱(祈る)。
 雪童子は子どもを死なないように救済を念じている。


『飯島晴子』(私的解釈)栗咲くと。

2021-11-03 07:05:25 | 飯島晴子

   栗咲くと面のすさぶ翁かな

※栗の花が咲くと顔につけ、髭を模して遊ぶ翁である。

 栗咲くとはリツ・ショウと読んで、立、証。
 面のすさぶ翁(面遊翁)はメン・ユウ・オウと読んで、面、融、枉。
☆立証(証拠を挙げて証明すること)と面(向き合い)融(通った)枉(無実の罪)。

 栗咲くとはリツ・ショウと読んで、律、衝。
 面のすさぶ翁(面遊翁)はメン・ユウ・オウと読んで、綿、佑、応。
☆律(規則)は衝(要)である。
 綿(細く長く続いて)佑(たすけること)に応える。

 栗咲くとはリツ・ショウと読んで、慄、将。
 面のすさぶ翁(面遊翁)はメン・ユウ・オウと読んで、免、雄、王。
☆慄(恐れ戦く)将(将軍)の免(職を解いた/辞めさせた)雄(力強い)王様がいた。

 栗咲くとはリツ・ショウと読んで、立、商。
 面のすさぶ翁(面遊翁)はメン・ユウ・オウと読んで、綿、融、旺。
☆立(組織などがしっかり決まる)商いは綿(細く長く続き)融(流通し)旺(盛ん)である。


頑張ったね。

2021-11-03 07:03:10 | 日常

「お兄ちゃん(A君)、死んでしまったよ」と久しぶりに帰ってきた息子に言うと、
「えっ、知らない、そんな人いたっけ」という。

 一家が転居してきたころA君は20代だったが無職のようで姉の子供を見たり、食材の買い物に出る母親の手伝いをしていた。何年かしてセールスの仕事に就いたけど、引きこもっていたせいもあり、数日すると松葉づえになり、恥ずかしそうに笑っていた。
 十五年ほど前、彼の父親の入院先をお見舞いのため、彼の車に同乗したことがあった。走行中、左を指して、「この先に、ミシンを買ってくれたおばあちゃんの家があるんです」と言った。「たった一軒、うれしかったなぁ・・・」とぽつり。
 ミシンのセールスをしている現場を街で見かけたことがある。
「売れないとね、一銭ももらえないんです」「・・・」

 その後宅配業務や警備に就いたりしていたけれど、身体の方は不調を漏らしていた。
「警備て言ったって、とんでもない方へ行くんです。昨日は埼玉県でした。交通費は二万円までの支給で大抵、足が出ます。しかも二時間とか半日なんです」

 母親が亡くなって独り暮らしになると、
「交通費がかかりませんから」と近所のスーパーへ。
「ぼく、頻繁に(辞めろ)って警告を受けているんです」とこぼした。

 同じスーパーでバイトをしている主婦は「あんな間抜けな人初めて見たわ」という。「だってね、あの人が並べた商品をわたしが並べなおしているのよ」と言った。

 そこも辞めて、辞めざるを得なくなり再び引きこもり生活。
「食べているの?」と聞くと「家の中では食べません」という。
 母親が病身の時に生活保護を受けたので車もなく外出の様子は分からなかった。
「昨日は宝くじが当たったので一万円を受け取りに中央まで4キロほどを歩きました」と言った。
「それよりつい最近雨戸が何日も閉まっていたけど、どこかへ出かけていたの?」と聞くと、「どこへも出かけていません」と言う。

 再び雨戸が幾日も閉まっているので、知人を通して通報。

 A君の死からちょうど一年、享年57才、もう楽になったでしょうか。


『飯島晴子』(私的解釈)紅梅を。

2021-11-02 07:31:04 | 飯島晴子

   紅梅をはたき幻てのひらに

 紅梅はコウ・バイと読んで、公、売。
 はたき幻(叩幻)はコウ・ゲンと読んで、恒、厳。
 てのひらに(手平)はシュ・ヒョウと読んで、取、評。
☆公売(差し押さえなどで得たものを公告して入札、競売すること)は恒(つね)に厳しい。
 取(手に入れる)には評(品定め)をする。

 紅梅はコウ・バイと読んで、好、唄。
 はたき幻(叩幻)はコウ・ゲンと読んで、恍、顔。
 てのひらに(手平)はシュ・ビョウと読んで、殊、猫。
☆好きな唄に恍(うっとりする)顔の殊(普通と違う/特別な)猫がいる。

 紅梅はコウ・バイと読んで、講、倍。
 はたき幻(叩幻)はコウ、ゲンと読んで、構、源。
 てのひらに(手平)はシュ・ビョウと読んで、手、描。
☆講(はなし)を倍(多くする)構(しかけ)が源の手(やり方/方法)で描いている。


M『女盗賊』

2021-11-02 06:53:10 | 美術ノート

   『女盗賊』

 黒衣の人物、女盗賊というタイトルなので女かと思うが、男の肩ではないか。長い手に比して下半身は短い。黒衣から出ている手は明らかに人間の手である。その手が抑えている木製の箱、脇には小箱も見える。
 盗賊、何を盗んだのか。

 木箱の中に盗むに値するもの、盗まれることを断固拒否したいものが入っているに違いない。
 マグリットの中での喪失感を考えると・・・母、母を盗んでいった盗賊との対峙である。

 女盗賊は直立しておらず少し左に傾いでいる、力を込めて箱のふたを抑えている。決して開けることは叶わないというように。
 この世のものではない使い(使者)は堂々マグリットに向き合っている。「あなたのお母さんをお守りします」あの世の使者である。使者(守護神)は、逞しい男であるより、女であってほしいマグリットの願いかもしれない。

 写真は『マグリット』展・図録より


『水仙月の四日』39。

2021-11-02 06:32:31 | 宮沢賢治

「うつむけに倒れておいで。ひゆう。動いちゃいけない。ぢきにやむからかぶつて倒れておいで。」雪わらすはかけ戻りながら又叫びました。子どもはやつぱり起きあがらうとしてもがいてゐました。
「倒れておいで。ひゆう。だまつてうつむけに倒れておいで。今日はそんなに寒くないんだから凍えやしない。」

 うつむけに倒れて(俯倒→不凍)・・・凍えやしない。
 (雪わらす)であって、雪童子ではない。
 (子ども)であって、子供ではない。
 この微妙な差異は生死の状態や心理の揺れを描き、子供(死境)と雪童子(死の導師)が《生》の領域に引き戻るようなニュアンスを醸している。

「倒れておいで。ひゅう、だまってうつむけに倒れておいで。今日はそんなに寒くないんだから凍えやしない。」
「じっとしていれば、死んだりしない!」と雪童子(死の導師)は生への救済を叫んでいる。


『飯島晴子』(私的解釈)狐火に。

2021-11-01 07:14:04 | 飯島晴子

   狐火にせめてををしき文字書かん

 狐火はコ・カと読んで、涸、禍。
 ををしき(雄雄)はユウ・ユウと読んで、憂、友。
 文字書かんはモン・ジ・ショと読んで、悶、地、処。
☆涸(水が枯れる)禍(災難)に憂(苦しむ)友(友人)。
 悶(思い悩み)、地(土地)を処(然るべき始末をする、処分)した。

 狐火はコ・カと読んで、姑、嫁。
 ををしき(雄雄)はユウ・ユウと読んで、友、融。
 文字書かんはモン・ジ・ショと読んで、聞、似、所。
☆姑と嫁、友のように融(心が通じている)と聞く。
 似ている所がある。

 狐火はコ・カと読んで、孤、果。
 ををしき(雄雄)はユウ・ユウと読んで、優、游。
 文字書かんはモン・ジ・ショと読んで、問、辞、書。
☆孤(ひとりぼっち)の果(結末)は優(ゆとりがあり)游(自由に楽しむ)。
 問(人を訪ねたり)辞(文章)を書く。


M『嵐の装い』5.

2021-11-01 06:53:16 | 美術ノート

 切り紙細工の人型、人以外の何物にも見えないが、血肉を有した人ではないことは確かである。この不思議、幽体を想起させる、せざるを得ない形・・・。

 ある一点を中心に四方に連鎖していく、つまり無限であって有限ではない正体である。取り留めもなく掴めないが、永遠をすら示唆する形であるが、自由を保障されていない。しかし、明らかに人為的な工作の意図がある。
 
 平面状の物は地上(床)に直立できない。条理を外した景は現世の条件をことごとく外し、この時空が決して現世ではないことを証明している。
 この仮想空間に嵐の中の難破船はまさしく現世であり、遮蔽はない。

 自由(現世)は残酷であり、残酷な死(来世)は不自由である。決裂、永遠の別れは精神界では行き来自由につながっているのかもしれない。

 写真は『マグリット』展・図録より


『水仙月の四日』38。

2021-11-01 06:29:30 | 宮沢賢治

「毛布をかぶつて、うつ向けになつておいで、毛布をかぶつて、うつむけになつておいで。ひゆう。」雪童子は走りながら叫びました。けれどもそれは子どもにはただ風の声ときこえ、そのかたちは眼には見えなかったのです。

 毛布は、亡(死)の訃(知らせ)
☆「死の知らせを覆ってうつ向けになっておいで、死の知らせをかぶって、うつむけになっておいで。非有。」雪童子(死の導師)は走りながら叫びました。けれどもそれは子どもにはただ風の声ときこえ、そのかたちは眼には見えなかったのです。

 雪童子は子どもを救おうとしている。子ども…子供(死の境にいる人、生と死の間を彷徨している人)ではなく《子ども》である。雪婆んご(死神)の使いである雪童子(死の導師)には迷いがある。

 この物語(生と死の間の時空)には死への誘因と生への救済が微妙に絡んで交錯してる。