相模原市中央区田名に明治から昭和にかけての田名地域の養蚕農家の姿を伝える木造民家の「相模田名民家資料館」はある。古い民家が移築された際の木材を用いてできている木造2階建ての施設である。建物は当時の代表的な養蚕農家を移築再現し、2階は展示室として当時の養蚕文化、農村文化の資料を集め、1階は昔のかたりべの館として、さらに生涯学習の場として開放されている。田名はもともと水田がなく農家の90%が現金収入を求めて養蚕に携わっており製糸産業が盛んであった地である。これらの業績を後世に伝えるべく祖先が残した財産、三栗山の収益金を基金として「資料館」が建設された。「大杉公園」は田名小学校の前身である覚明学舎および田名村役場のあった所であり、田名行政文化の発祥の地で選ばれた。当資料館では2月初旬から3月の桃の節句に開催される「ひな人形展」には江戸時代中期から昭和までの品、寄付されたひな人形や吊るし雛が飾られる。資料館のそばの「大杉公園」にある「大杉の池」は半在家、塩田へと流れる「紅葉川」の水源である。かつてこの地の近くの「明覚寺」に役場が設けられたいたことから川は「やくばのかわ」、池は「やくばのいけ」と呼ばれた。池のとなり「弁財天」の西側は明覚寺の跡である。明覚寺は鎌倉時代(建永元年=1206)創建、良山阿闍梨(承久3年=1221寂)が開山。明覚寺はもともと南の諏訪社の別当寺(推定)で、江戸時代末期、水郷田名の八幡宮の別当寺も務め村の中心的存在であった。公園の前には児童福祉法に基づく児童厚生施設である「田名子どもセンター」もある。(2202)
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