ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

虹彩には、体質や、現在、過去、未来、のデータが秘められています。虹彩学による虹彩分析を針灸、巨針、食事療法の指針に!

論語と鍼灸 (10) 鍼の響きや得気について

2011-05-15 11:27:10 | 論語と鍼灸
鍼術には「響き」というのがあるが、それは患者さんが感じる被刺鍼感覚で、術者が感じるのを「得気」と呼んでいます。
科学的に視ると「胡散臭い」ものですが、傍から見ていて「響きを感じている」とか「得気を得ているだろう」と思われるときがある。
具体的なことを書くと、その言葉だけを覚えて話をする人がいますので、具体的な詳細についてはここでは書きませんが、それらの感覚を養う方法が論語にいくつかあります。

【忠信を主とし、己に如(し)かざる者を友とすることなく、過てば則ち改むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ】
(真心と信用を第一とし、自分よりダメな人間とは付き合わず、間違ったらためらうことなく改めます)

この論語の解説を、福田晃市先生は以下のように述べられています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 誠実に生きていこう

 すぐれた人物を見れば、
 ねたんだりせず、すなおに見習おうとする。
 自分にまちがいがあれば、
 とりつくろったりせず、すなおに改める。
 こんなふうに誠実に生きる人は、
 とても重要ですし、きっと歴史に美名を残すことでしょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

福田先生の解説やエピソードを読んでいますと、福田先生のお人柄がわかります。
①いかにしたらわかりやすいか
②いかにしたら読みやすいか
③いかにしたら親しんでもらえるか
④いかにすれば理解してもらえるか
⑤いかにすれば素直に読んでもらえるか
⑥驕らず、高ぶらず、謙虚であるにはどう言えばいいのか

そのような想いが行間から滲み出ています。
それは、福田先生の経歴を見ればわかりますが、経歴もさることながら、やはり「人格」や「品格」が文章にも現れていると思います。

福田先生は、「経世済民」の方法を探るために中国古典を学びながら、大学では「政治学」を学び、大学院では「教育学」を学んだようです。
その求道がこのような表現力になったと思われます。
鍼の響きならぬ「文学の響き」です。

「鍼の響き」とか「得気」は、術者や患者さんの感覚の世界ですので、検証できなければ証明することができません。
証明できないことは、世間に広く認められることは少ないものです。


某大学院で≪起業構築論≫を教えている先生が、「起業家と詐欺師は似たようなものだ。非常識的なことを言うからですが、違うのは、詐欺師はお金を騙し取ったら逃げてしまう」という話をしておりました。
「プッ!」と笑ってしまった。
「鍼灸師も似たようなことを言ってるのかも知れない」と思ったからです。
鍼灸師は逃げることはないのですが、「響き」とか「得気」というような証明できないことは、あまり言わないほうがいいかも知れない。

孔子は能弁を嫌いますが、「響き」とか「得気」という言葉は、能弁な人が使う場合が多いからです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エラチオ―ルベゴニア(スケッチ&コメント)

2011-05-15 06:28:47 | スケッチ


エラチオ―ルベゴニア

江嵜企画代表・Ken



神戸三宮へ出かける機会があり、いつものパターンであるが、フラワーショップ「潤」へ立ち寄った。相変わらず人の切れ目がない。店頭の棚は午後1時過ぎだったが既に空っぽ、店の奥に入ったら、目が合った花があった。

ラベルを見たらエラチオ―ル・べゴ二アと書いてあった。とにかく明るい花が一番である。沢山の花弁を付けてこぼれんばかりに咲いていた。帰宅していつものようにスケッチした。

阪神三宮駅がえらい人出だな、と思ったら14,15両日は神戸祭だということを後で知った。この日葉は、阪神御影駅から乗車したが甲子園満員の掲示が午前中に既に改札口に出ていた。

ご批判の向きもあろうかと思うが、出かければお金も落ちる。お金が落ちればそれなりに潤う方もおられるから結構なことだと思っている。

エラチオ―ル・ベゴニアは名前の通りベゴニアの一種である。店のお姉さんに聞いたらリ―ガス・ベゴニアと教えてくれた。

ヤフーで調べたら、西ドイツのオットー・リ―ガー氏によって病気や暑さに強い品種が作りだされてから盛んに栽培されるようになったのでリ―ガス・ベゴニアとも呼ばれると書いてあった。

この日の甲子園は阪神・中日戦だった。帰宅してテレビ観戦したが気分転換どころかストレスがたまる一方だったので、花のスケッチに切り替えた。ところが、見捨てた罰であろう、3-4で連敗した。

野球嫌いの人にはどうでもいい話だろうが、今年はいつになれば最下位を争っている。いつチームにエンジンがかかるのだろうか。気のもめることである。

こう負けが込んでくると、いかに人の良いタイガースファンも甲子園に足を向けなくなるだろう。娯楽である以上、基本的に楽しくなければならない。それでも甲子園という人は、もはやそれは病気である。(了)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする