【君子は矜(きょう)にして争わず、郡にして党せず】
(君子は自分の意見にこだわっても他人とは争わず、友人と仲良くしても派閥を作らない)
持論にこだわることはあっても、持論と異なる意見の人と争うことはせず、徒党を組むこともしないのが君子だというわけです。
つまり、自分の意見にこだわるというのは、それなりにこだわる理由があるからですが、条件があると思います。
その条件とは、相手が納得できる証拠を見せることができることです。
証拠のないこだわりなら、単なる我が儘か、唯我独尊的思想と考えます。
東洋医学では、ないものをある、と言ったり、あるものをないと言ったりするからで、それを証明できないなら、こだわる意味がありません。
また、派閥を作らないというのは、派閥をつくる事態が、争うことになるからです。
鍼灸師会も派閥であるからには、少なからず争いが起るはずです。
資本主義社会では、組織が重要な必要な役割を果たすこともありますが、孔子流で考えると、「私心で組織を利用してはならない」ということだと思います。
私が十代の頃、こう言う人がいました。
「組織に入るのは、自分に自信がないからだ。自信があったら一人でも十分戦える」と。
う~ん、何故こんなことを覚えているのかと自分でも不思議なのですが、私が団体に所属しないことは、もしかしたらこの人の影響もあるかも知れない。
【子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず】
(君子は人と調和するが雷同はしない。小人は雷同はするが調和はしない)
同とは「付和雷同」のことで、安易に他人の意見に同調するという意味で、君子は協調はしても雷同はしないわけです。
反対に、小人は協調しているように見えても、ただ周囲に流されているだけの場合が多いというわけです。
例えば、人使いの上手い人は、人の意見を尊重しながらも、自分の意見を堅持し、意見の違いを話し合いで調和させます。
一方の人使いが上手くない人は、誰の意見にも同調しますが、自分の意見がないだけに調和が取れなくなります。
我々よりも患者さんのほうが、病気に対する知識が豊富な人がいます。
そんなときは、患者さんと和するために、患者さんに教えてもらうようにします。
無理にこちらの理論を押し付けることはしません。
東洋医学の理論は、学校で学ぶ解剖生理とは違うので、こちらの理論を押し付けることは、反発を買うだけだからです。
「和」することが、患者さんから信頼されます。
福田晃市先生は、以下のように解説しています。
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なれあいはやめよう
立派な人は、
いくら仲のよい人からの頼みでも、
悪いことには加担しません。
でも、つまらぬ人は、
仲のよい人に誘われたら、
どんな悪いことにも加担します。
こういった「なれあい」は、
身を滅ぼしますし、他人までも害します。
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(君子は自分の意見にこだわっても他人とは争わず、友人と仲良くしても派閥を作らない)
持論にこだわることはあっても、持論と異なる意見の人と争うことはせず、徒党を組むこともしないのが君子だというわけです。
つまり、自分の意見にこだわるというのは、それなりにこだわる理由があるからですが、条件があると思います。
その条件とは、相手が納得できる証拠を見せることができることです。
証拠のないこだわりなら、単なる我が儘か、唯我独尊的思想と考えます。
東洋医学では、ないものをある、と言ったり、あるものをないと言ったりするからで、それを証明できないなら、こだわる意味がありません。
また、派閥を作らないというのは、派閥をつくる事態が、争うことになるからです。
鍼灸師会も派閥であるからには、少なからず争いが起るはずです。
資本主義社会では、組織が重要な必要な役割を果たすこともありますが、孔子流で考えると、「私心で組織を利用してはならない」ということだと思います。
私が十代の頃、こう言う人がいました。
「組織に入るのは、自分に自信がないからだ。自信があったら一人でも十分戦える」と。
う~ん、何故こんなことを覚えているのかと自分でも不思議なのですが、私が団体に所属しないことは、もしかしたらこの人の影響もあるかも知れない。
【子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず】
(君子は人と調和するが雷同はしない。小人は雷同はするが調和はしない)
同とは「付和雷同」のことで、安易に他人の意見に同調するという意味で、君子は協調はしても雷同はしないわけです。
反対に、小人は協調しているように見えても、ただ周囲に流されているだけの場合が多いというわけです。
例えば、人使いの上手い人は、人の意見を尊重しながらも、自分の意見を堅持し、意見の違いを話し合いで調和させます。
一方の人使いが上手くない人は、誰の意見にも同調しますが、自分の意見がないだけに調和が取れなくなります。
我々よりも患者さんのほうが、病気に対する知識が豊富な人がいます。
そんなときは、患者さんと和するために、患者さんに教えてもらうようにします。
無理にこちらの理論を押し付けることはしません。
東洋医学の理論は、学校で学ぶ解剖生理とは違うので、こちらの理論を押し付けることは、反発を買うだけだからです。
「和」することが、患者さんから信頼されます。
福田晃市先生は、以下のように解説しています。
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なれあいはやめよう
立派な人は、
いくら仲のよい人からの頼みでも、
悪いことには加担しません。
でも、つまらぬ人は、
仲のよい人に誘われたら、
どんな悪いことにも加担します。
こういった「なれあい」は、
身を滅ぼしますし、他人までも害します。
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