【曾子(そうし)曰(いわ)く、士は以て弘毅(こうき)ならざるべからず。任重くして道遠し。仁以て己が任となす。亦(また)重からずや。死して後已(のちや)む。亦遠からずや】
(曾子が言うには、学に志す者は心が広くて力が強くなければならない。その任務は重大で、道は遠い。仁を自らの任務としているのであるから、なんと重いではないか。死ぬまで担がねばならない。なんとその道程は遠いではないか)
鍼灸師は患者さんからすればリーダーです。
そのリーダーになることを誓った人は、生涯重い荷物を背負う覚悟が無ければ、いいリーダーにはなれないと言うのです。
常に仁の心を追求し続けることで、いつ死んでもいいように、常に仁の心を持ち続けなければならないと言うのです。
「仁」については、何度も書いてきましたが、人に対する思いやりであり、慈しみであり、人とのコミュニケーションです。
だいぶ厳しい論語が出てきましたが、このブログは上級者を目指す人の為に書いているので、着いて行けないと思う人も多いかも知れない。
しかし、同じ鍼灸師になったのですから、誰でも上級者とか達人と言われる鍼灸師になりたいと心の隅では考えているはずです。
中国兵法にも上級者になるためのヒントが書かれていました。
『論語』ですでにご紹介しました福田晃市先生は、気さくな話し方をする先生ですが、「兵法」はかなり研究しており、出版物も多いのです。
福田先生の兵法のご著書、『みるみる身につく「孫子の兵法」』には、地勢のパターンとして以下のようなことが書かれています。
※近々福田先生にご講演をお願いしようと考えております。
【用兵の法、散地(さんち)あり、軽地(けいち)あり、争地(そうち)あり、交地(こうち)あり、衢地(くち)あり、重地(じゅうち)あり、圮地(ひち)あり、囲地(いち)あり、死地(しち)あり】
(戦いで兵を動かす法としての地形としては地勢として、散地(さんち)、軽地(けいち)、争地(そうち)、交地(こうち)、衢地(くち)、重地(じゅうち)、圮地(ひち)、囲地(いち)、死地(しち)の九つがある)
散地(さんち):自分の住む地域の近くで、兵士たちは家に帰りたいと考えるし、家も近いので逃げやすいので、ここでは戦わないようにして兵士を任務に専念させる。
軽地(けいち):敵地に入ってすぐのところで、兵士たちは今ならまだ家に帰ることができるので、先に進みたがらない。そんなときは、先を急いで兵士たちを繋ぎとめる。
争地(そうち):占領すると有利になるところで、守りやすく攻められにくい重要な地点をめぐり、互いに争奪し合うので、無理して攻めずに後続部隊をを急がせて前線の戦力を増やす。
交地(こうち):自分も行きやすいし、相手も来やすいところで、交通がさかんで往来も激しく、道路を封鎖もできない。部隊どうしの連携を強め、全方位からの攻撃に備えて守りを固める。
衢地(くち):各国に接して、さまざまな国と通じやすいところで、いくつかの国の国境が接している。交通の中心をおさえて周辺諸国と手を組めば援軍を得ることができるので、各国との交流をはかり、周辺諸国と同盟を結ぶ。
重地(じゅうち):敵地の深くまで入ったところで、退散が難しくなったところ。物資の不足が起る可能性があるので、物資を略奪し食料を補充する。
圮地(ひち):山林、難所、湖沼、河川などがあって通りにくいところで、環境が悪く、そこにいるだけでダメージを受けてしまうので、すぐに立ち去るか、さっさと通過する。
囲地(いち):自由に動けないところで、進む道は狭く、帰る道のりは遠くて、敵の有利になる。武力だけでは勝てないので、知恵をめぐらすが、あえて退路を断つことで、兵士たちを結束させる。
死地(しち):逃げ場がないところで、素早く戦えば生き残れるが、ぐずぐずしていると全滅するので、兵士にピンチを自覚させて必死に戦わせる。
私が見てきた「えり抜きの鍼灸師」と思われる人たちは、衢地(くち)や囲地(いち)や死地(しち)を経験している人が多かったように思います。
これらの地勢は、別名「絶地」と呼ばれるところで、逃げるのが難しいことを意味しています。
例えば、私が各地を講演と講習で廻っていたとき、講演をすると必ず個人相談を申し込まれました。
そして、必要に応じてパパッと治療するのですが、一人に5分もかけようものなら、20人では100分になってしまうので、一人1~2分の時間しか取れなかった。
今考えると、その時の心境が「死地(しち)」だったような気がします。
講演で偉そうなことを言った以上は、聴講者の目の前で結果を出して見せなければならないからです。
人間「死地」に立つと、不思議なもので瞬間的に閃きが出てくるものです。
でも、閃きだけで治療をすると、単なる「まぐれ」や「偶然」になってしまうので、理論的な解説も必要になってくるわけです。
そんな積み重ねが ≪人体惑星試論奥義書≫ をまとめるときに役立ちました。
(曾子が言うには、学に志す者は心が広くて力が強くなければならない。その任務は重大で、道は遠い。仁を自らの任務としているのであるから、なんと重いではないか。死ぬまで担がねばならない。なんとその道程は遠いではないか)
鍼灸師は患者さんからすればリーダーです。
そのリーダーになることを誓った人は、生涯重い荷物を背負う覚悟が無ければ、いいリーダーにはなれないと言うのです。
常に仁の心を追求し続けることで、いつ死んでもいいように、常に仁の心を持ち続けなければならないと言うのです。
「仁」については、何度も書いてきましたが、人に対する思いやりであり、慈しみであり、人とのコミュニケーションです。
だいぶ厳しい論語が出てきましたが、このブログは上級者を目指す人の為に書いているので、着いて行けないと思う人も多いかも知れない。
しかし、同じ鍼灸師になったのですから、誰でも上級者とか達人と言われる鍼灸師になりたいと心の隅では考えているはずです。
中国兵法にも上級者になるためのヒントが書かれていました。
『論語』ですでにご紹介しました福田晃市先生は、気さくな話し方をする先生ですが、「兵法」はかなり研究しており、出版物も多いのです。
福田先生の兵法のご著書、『みるみる身につく「孫子の兵法」』には、地勢のパターンとして以下のようなことが書かれています。
※近々福田先生にご講演をお願いしようと考えております。
【用兵の法、散地(さんち)あり、軽地(けいち)あり、争地(そうち)あり、交地(こうち)あり、衢地(くち)あり、重地(じゅうち)あり、圮地(ひち)あり、囲地(いち)あり、死地(しち)あり】
(戦いで兵を動かす法としての地形としては地勢として、散地(さんち)、軽地(けいち)、争地(そうち)、交地(こうち)、衢地(くち)、重地(じゅうち)、圮地(ひち)、囲地(いち)、死地(しち)の九つがある)
散地(さんち):自分の住む地域の近くで、兵士たちは家に帰りたいと考えるし、家も近いので逃げやすいので、ここでは戦わないようにして兵士を任務に専念させる。
軽地(けいち):敵地に入ってすぐのところで、兵士たちは今ならまだ家に帰ることができるので、先に進みたがらない。そんなときは、先を急いで兵士たちを繋ぎとめる。
争地(そうち):占領すると有利になるところで、守りやすく攻められにくい重要な地点をめぐり、互いに争奪し合うので、無理して攻めずに後続部隊をを急がせて前線の戦力を増やす。
交地(こうち):自分も行きやすいし、相手も来やすいところで、交通がさかんで往来も激しく、道路を封鎖もできない。部隊どうしの連携を強め、全方位からの攻撃に備えて守りを固める。
衢地(くち):各国に接して、さまざまな国と通じやすいところで、いくつかの国の国境が接している。交通の中心をおさえて周辺諸国と手を組めば援軍を得ることができるので、各国との交流をはかり、周辺諸国と同盟を結ぶ。
重地(じゅうち):敵地の深くまで入ったところで、退散が難しくなったところ。物資の不足が起る可能性があるので、物資を略奪し食料を補充する。
圮地(ひち):山林、難所、湖沼、河川などがあって通りにくいところで、環境が悪く、そこにいるだけでダメージを受けてしまうので、すぐに立ち去るか、さっさと通過する。
囲地(いち):自由に動けないところで、進む道は狭く、帰る道のりは遠くて、敵の有利になる。武力だけでは勝てないので、知恵をめぐらすが、あえて退路を断つことで、兵士たちを結束させる。
死地(しち):逃げ場がないところで、素早く戦えば生き残れるが、ぐずぐずしていると全滅するので、兵士にピンチを自覚させて必死に戦わせる。
私が見てきた「えり抜きの鍼灸師」と思われる人たちは、衢地(くち)や囲地(いち)や死地(しち)を経験している人が多かったように思います。
これらの地勢は、別名「絶地」と呼ばれるところで、逃げるのが難しいことを意味しています。
例えば、私が各地を講演と講習で廻っていたとき、講演をすると必ず個人相談を申し込まれました。
そして、必要に応じてパパッと治療するのですが、一人に5分もかけようものなら、20人では100分になってしまうので、一人1~2分の時間しか取れなかった。
今考えると、その時の心境が「死地(しち)」だったような気がします。
講演で偉そうなことを言った以上は、聴講者の目の前で結果を出して見せなければならないからです。
人間「死地」に立つと、不思議なもので瞬間的に閃きが出てくるものです。
でも、閃きだけで治療をすると、単なる「まぐれ」や「偶然」になってしまうので、理論的な解説も必要になってくるわけです。
そんな積み重ねが ≪人体惑星試論奥義書≫ をまとめるときに役立ちました。