論語を読んでいると教えられることばかりですが、鍼灸の角度から論語を読みますと、また変わった解釈ができます。
5月29日の講習から、中国古典の論語や兵法を取り入れた、鍼灸上達のコツを講義に取り入れていく予定です。
『論語』の注釈本もいっぱい出ているのですが、私が好きなのは、福田晃市先生の本で、福田先生の本は、中国語の原文をできるだけ残すように注釈されているからです。
例えば下記の論語だと、多くの本は【朋あり遠方より来たる】となっていますが、原文からすると、福田先生の【朋の遠方より来たるあり】のほうが親しみやすい。
これは加筆修正して出版された本です。
【学びて時に之を習う、亦た悦ばしからずや。朋の遠方より来たるあり、亦た楽しからずや。人の知らずしてまず、亦た君子ならずや。】
この条文を福田先生は、以下のように解釈してくれています。
【学んだことを時に応じて復習していれば、どんどん道理がわかってきます。これまた喜ばしいことではありませんか。学んで自分が立派になっていくと、その評判を聞きつけて、同じように学んでいる人がたずねてきます。これまた楽しいことではありませんか。しっかり学んでいるのに人から認められなくても、べつに不満に思ったりしません。これまた君子(立派な人)ではありませんか。】
孔子は威張ることを嫌っていましたが、福田先生の文章を見ても分かるように、福田先生自身が非常に謙虚で優しさがあふれています。
これでこそ『論語の注釈本』と思うわけです。
論語の教えを、鍼灸師や鍼灸技術の向上のために使うには、このような優しさがほしいわけです。
【学んだことを必要に応じて復習する】ことは、鍼灸師にとっても大切なことで、成功する人というのは必ず勉強しているものですので、鍼灸師も例外ではないと思うのです。
【志を同じくした友が遠方より来る】ことは、楽しいことであり、明日の活力にもなります。
【人から認められないからと不満に思うようなことはない。これこそが君子である】というのは、人間学を勉強するのは、認められたいからでも褒められたいからでもなく、自分のためなのです。
そういう度量の大きい人こそが鍼灸師としても成功するのではないかと考えるわけです。
そのように考えていると、他のことを気にせずに自分の勉強したいことや研究したいことを自由にすることができるわけです。