西宮文化協会五月行事
江嵜企画代表・Ken
西宮文化協会、五月行事として5月19日(日)、午前10時50分、阪急甲陽線「苦楽園口駅」集合、駅前からシャトルバス乗車、一部は自家用車で黒川古文化研究所へ向かった。第二部は午後3時集合で堀江オルゴール館を見学した。恥ずかしながら、2ケ所とも初めての訪問だった。
黒川古文化研究所では、日本古代の瓦・江戸時代の紙幣・特別展が開催中だった。同館会議室で川見典久研究員から見学に先立ち説明を受けた。
日本古代の瓦コーナーでは、飛鳥時代から奈良時代の瓦を取り上げた。会場には、飛鳥時代、6世紀から7世紀初頭にかけての法隆寺の瓦、8世紀前半の奈良時代の平城宮や同時代の東大寺や興福寺などで出土した約40点の瓦の展示に加えて、飛鳥時代、奈良時代の瓦造り後の痕跡も多数紹介されていた。
同時展示の「江戸時代の紙幣」のコーナーは特に見ごたえがあった。川見研究員は「今年4月に、新一万円札肖像に決まった渋沢栄一氏の藩札をめぐるエピソードを今回の展示会で紹介している。新札発行とたまたまタイミングが合致した。」と話した。
「日本最初の紙幣は、17世紀初頭、伊勢神宮の門前町山田で作られた。山田で神職を兼ねた有力商人が作った。家康が発行した慶長銀との兌換を保証している。品位は銀80%と高かった。社会的信用のある有力商人が後ろ盾となっていた。私札がその後の藩札へとつながった」との説明が閲覧ケースに記載されており興味深く、メモした。
「お金のない藩は他の藩からも藩札を提供されていた。豊岡藩の藩札に今治藩の藩札が混ざっていた。藩はお札を作っても儲からない。藩札の発行には儲かる事業との一体で、有力商人が藩札づくりに関わっていた。」「各藩は当初からニセ札防止に対応した。ニセ札防止の代表が透かし彫りだった。高度な技術が求められた。その伝統は現在まで変わらず受け継がれている。」「さらに、藩札に使われる紙にもこだわりがあった。例えば地元、西宮の名塩は特に藩札用の紙の全国有数の産地だった。名塩の紙は原料のがんびに泥を混ぜて作られた。藩札に独特の色と重厚味が生まれた」と川見さんは力を込めた。
「明治政府は明治3年10月にドイツ、ドンドルフ・ナウマン社に新札製造を依頼した。額面毎に色分けされていた。ただ偽造される恐れがあったため、明治政府は、ドイツから届いたお札に改めて官印を押して明治5年4月に新札として発行した。」
黒川古文化研究所で事務局から用意された弁当で腹ごしらえした後、次の訪問先の堀江オルゴール館へ場所を移した。一部の方は車で、あと有志10人ほどで新緑で彩られた山道を散策、徒歩30分ほどで会場に着いた。
堀江オルゴール博物館は中山太陽堂が建てた別邸「太陽閣」跡である。当館では春と秋、期間限定で庭園を開放している。春はつつじ,秋は庭一面紅葉で覆われると会場で配布された資料にあった。お庭を散策、談笑しながら開館迄の時間を待った。
見学会は午後3時に始まった。館長の松浦眞理子さんが「このように多数お越しくださり正直驚いております。誠に光栄でございます。いつもは閑古鳥が鳴いております。本日は本当にありがとうございます。」とユーモアたっぷりに冒頭挨拶された。当館には松浦館長の父上、堀江光男氏が蒐集された18世紀から20世紀初頭までのオルゴールと自動演奏楽器360台が収蔵されている。会場を見学者に同行された松浦館長は「父は79歳でリタイヤしたあと95歳で亡くなくなるまで蒐集しました」と話された。
当館は1階、2階、3階とに楽器の種類ごとに展示されている。担当の女性が一人付き、それぞれの楽器の前に立ち止まっては、時に楽器に触れせたりしながら音楽を演奏しては先に移動した。なかでもシリンダーオルゴール、バイオリン自動演奏楽器などは初めて目にする楽器が多く、迫力があった。
両館とも月曜日は休館日。見学ご希望の向きは、黒川古文化研究所(℡;0798-71-1205 )、堀江オルゴール博物館(0798-70-0656)にご照会いただければありがたい。見どころ一杯の訪問先であることだけは確かだ。
貴重な機会をご用意いただいた西宮文化協会事務局の皆様にひたすら感謝である。(了)