★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

「山嶺の星座」の周辺

2018-07-09 23:42:44 | 文学


わたくしの田舎の近くに山形村というのがあるが、唯物論研究会の中心人物の一人であった永田廣志というのがそこの出身である。松本深志から東京外語のロシアを出て、何回か逮捕されているが、愚直な唯物論史を書いた。彼は戸坂潤のように獄死はしなかったが、松本に帰ってきた頃は体の調子も悪く、戦後すぐに四〇代前半で死んでしまった。

だいたい、唯物論研究会の連中がちゃんと戦後に生き残っていたら、だいぶ歴史は変わっていただろうと見なす人もいるが、わたくしは久野収とか中井正一の戦後の活動から考えて、それほど変わらなかったのではないかとも思うのである。確かに、戸坂潤一人いただけで、だいぶ黙らなくてはならかった人はいただろうが、戦争時代が戸坂を黙らしてしまったと同じように、戦後も違う意味で黙らされた可能性もある。すでに「マチウ書試論」や「デンドロカカリヤ」がその時代の感情を抉る事態だったからである。むしろ、戸坂や三木が早く死んだことの意味は、戦後も平成時代になってボディーブローのように効いてきたと思う。吉本がオウムを相対的に評価し、安部が「箱男」的に引きこもるのは、彼らの論理から必然であったが、若い頃にもう少し強敵が多かったら、もう少し違っていた可能性があるとわたくしなんかは妄想する。

ところで永田であるが、彼が死んだときに葬式で歌を作ったのが高橋玄一郎で、こっちは現代詩歌運動の人である。浅間温泉の旅館の経営者でもあったはずである。で、松本周辺にいた芸術家集団をえがいた小説があるので、取り寄せてみたのが、山本勝夫の『山嶺の星座』上下巻。時間ができたら読んでみたい。