『今昔物語』のなかの性的な物語の中で割とよくしられたものの中に、「女行医師家治瘡逃語」というのがある。
宮中の医療機関の院長のところに、絶世の美女があらわれた。診察してみると、陰部の近くに腫れ物がある。老いた院長は色香に迷っていることもあろうが、一生懸命に治療してなおしてしまった。この美女、
「今、奇異き有様をも見せ奉りつ。偏に祖と憑奉るべき也。然れば、返らむにも、御車にて送り給へ。其の時に、其とは聞へむ。亦、此にも常に詣来む」
とか気のありそうなところを見せたので、院長先生、すっかり彼女に惚れてしまった。しかし、案の定、食事を運んで行ってみると、彼女は夜着でトンズラ。で、こうしたときに
女のなつかしい油の匂いと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした。夜着の襟の天鵞絨の際立って汚れているのに顔を押附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。
となるのは、姦通罪を恐れる近代人である。かえって、――院長は「おらおらっ、どこ行ったんならっ」と家中を探しながら、
「「忌まずして、本意をこそ遂ぐべかりけれ。何にしに疏ひて忌みつらむ」と、悔しく妬くて、然は、「無くて、憚べき人も無きに、人の妻などにて有らば、妻に為ずと云ふとも、時々も物云はむに、極き者儲つと思つる者を」
となんとか心内がダダ漏れしてしまう有様であった。弟子達には馬鹿にされるし、世間も嗤う。しかし、院長は堂々と「極く嗔かり諍ける」のであった。
この前、川崎大助氏が日本人はもともとの「農民」根性に回帰しつつある、みたいなことを書いていたが、なるほどと思った。上の話についても、われわれの大多数は、院長はみっともないな、と嗤う弟子達や世間には容易にシンクロするが、院長の気持ちにはなかなか同情できないのである。
わたくしは、芥川龍之介が「鼻」で、禅智内供の鼻を秋風に揺らしてあげる穏やかな気持ちの方が分かる気がする。しかし、これは容易な道であることには変わりがない。
今日は暑い中、『尊師麻原は我が弟子にあらず』という、吉本隆明+プロジェクト猪の本を読んでみたが、なるほど、オウムの議論で吉本隆明がやたら攻撃されていたのは、岩上安身や切通理作などの若い論客が、吉本の影響圏(弟子みたいな人たち)を理解しないというある種の世代論が絡んでいたためか……と思った。しかし、いまみると、吉本氏以外の全員が似ている気がしないでもない。
吉本は、おそらく麻原と二人で戦いたいのである。一人理解しがたい行動をとった美女(麻原)をとっつかまえたいのである。それを、宮中のスキャンダルやエロ院長の話、美女に共感できるか否か、などの話題であーだこーだ騒いでいる人たちがいるので……