リバー・フェニックス(
われわれの世代は、団塊の世代の親をもって、上の課題につきあう者も多かったはずだ。
1、もっと自立してやるぜ→①日本から飛び出るぜ→①グローバル人材(インテリもしくは落ちこぼれ)→①挫折してネトウヨ、或いは自民党から出馬
→②ポストコロニアルだぜ(亜インテリ的出世主義)例・英文学者とか文化研究
→②日本で更に潜伏だ→①実存主義的(内気なインテリ)→①調べ物しているうちにネトウヨに
→②日本文学研究→①就職難しだががんばる
②がんばれない→ネトウヨに
→②アニメ耽溺的(内気な……)
→③日本すばらしいに目覚める→①伝統芸能復興だぜ
→②ネトウヨ
→③民進党から出馬
→③やっぱり運動だぜ→①フェミニズム
→②エコとか自然食品とか
→③宗教
→④親と仲良く自立できず
2、自立はつらいやめます→①親と仲良く自立せず→①実存主義的(内気なインテリ)
→②アニメ耽溺的(内気な……)
→②日本すばらしいに目覚める→①アニメ耽溺
→②伝統芸能復興だぜ
→③普通になろう→①本当に普通になる
→②普通になる能力がなかった
3、自立って何?
場合分けを、自分の周辺を基に考えてみたがばかばかしくなってきたのでやめる。どうなったとしても、時間をかければ同じようなところに行ってしまったり、違う場所に思いもかけずたどり着いてしまうのが、人生なのであろう。「旅立ちの日」だと、母親がテロリズムに走る前にあった人生プラン――音楽家になる夢――を、息子のリバー・フェニックスが引き継いでしまい、彼は、家族からも自立する結末となる。人に頼らない人生をつくるという意味では、親から自立したからOKであるにもかかわらず、親の自立思想に従っているという意味では、家族から離反したわけではない。しっかり母親の夢も引き継いだ。こんなに表面上上手くいくこともあるのであろう。
しかし、上の話の過激派の両親が二〇年近くも逃げ回っているように、自立というのは始めることよりも続けることの方が遙かに難しい――にもかかわらず、引っ込みがつかないから続けるしかないのだ。リバー・フェニックスが家族から離れ、ジュリアード音楽院への道が開けるところでドラマは終わっているが、ここからが問題である。音楽院には入れたかどうか怪しいし、音楽を続けられたかどうかもわからない。わたくしなら、音楽や恋に破れた彼がテロリストとなる結末を付け加える。
だいたい、学園闘争や何やらへの意識が、社会へのエディプス的な意識に置き換わってしまうこと自体が逃避である。ラディカリズムは、アメリカ内部でももっと具体的な問題を引き起こし続けている。そういえばリバー・フェニックス自身がカルト教団の出自をかかえていたことも有名である。わたくし思うに、まあいろいろあるけれども、結局
恨は長し人魂か何かしらず筋を引く光り物のお寺の山といふ小高き処より、折ふし飛べるを見し者ありと伝へぬ。(「にごりえ」)
という感じになることは避けられないという感じはするのであった。