日高六郎の『戦後思想を考える』を捲っていたら、今日は、ゼミで、生命主義や「或る女」について考えたせいなのか、急に「戯作三昧」が読みたくなった。
光の靄に似た流れは、少しもその速力をゆるめない。かえって目まぐるしい飛躍のうちに、あらゆるものを溺らせながら、澎湃として彼を襲って来る。
実際の馬琴は、こんなベルグソンまがいの妙なものを思い浮かべるタイプではなく、書いてから自分に興奮してくるタイプのように思えるのであるが、――最近、八犬伝など読み返している暇がなくて残念だ。案外芥川の言うとおりだったのかもしれないとわたくしは最近思ったこともある。
芥川龍之介が屡々小説のなかで語る、刹那の何か、はわれわれの集中力のありようがなんとなく現れているのかもしれない。それは、神秘体験で人をひっかける宗教みたいなものにも意識されているのかもしれない。
いずれにせよ、われわれに必要なのは、非人情に思われようとも――さしあたり、テキストへの批判であり、宗教への批判である。