『自分のなかに歴史をよむ』(阿部謹也)を読んだ。まだわたくしのなかに勘のようなものが残っていると思ったのは、最後に音楽の話をするんじゃないかということ、マックス・ウェーバーを引いてやるんじゃないかということであったが、当たった……。
この本は、歴史学者の阿部謹也氏が自分の学問的来歴を語った本なのであるが、例えば文学研究者でこういう本を書ける人をわたくしは今思いつくことができない。これは学問の特質かもしれない。あるいは、文学研究者でも歴史家に近い人はできるかもしれないと少し思う。歴史というものの佇まいがそうさせるのかもしれない。文学は、自分の「なか」にある感じがしない。高村光太郎ではないが、「私に満ちる」みたいなのが文学であり、――自己の断罪という形なら、阿部氏の境地までいけるかもしれない。そうでないと、目も当てられない惨めな感じがする。