
いとまがまがしき筋にも思ひ寄りたまひけるかな。いたり深き御心ならひならむかし。今おのづから、いづ方につけても、あらはなることありなむ。 思ひ隈なしや
夕霧は父親に「玉鬘に普通の宮仕えをさせておいて、自分のものにしよう企むとはさすが」とかある人(内大臣)が言ってましたと告げる。源氏はギクっとなるのだが、上のように「今おのづから、いづ方につけても、あらはなることありなむ」(今におのずからどちらにしても真実があらわれるよ)とか、弁証法かっみたいなことを言う。
あらはなることありなむ
おそろしいことである。源氏の人生を要約するとこうなるのではないだろうか。というか、源氏の思考が不可解なのは、内大臣が源氏の企みに気づかないと一瞬でも思ったことである。こんなのはバレるに決まっている。というか既にバレている。
「げに、宮仕への筋にて、けざやかなるまじく紛れたるおぼえを、 かしこくも思ひ寄りたまひけるかな」と、むくつけく思さる。
偉くなると、既にバレていることでもバレていない体で周りを威圧することが出来るのだ。裸の王様である。大概、子どもが言う前にみんな気づいているから、あからさまに言い放った子どもは常にどこかに葬られている。
しかしこんな情景はありふれているのでむしろ隠れてしまうものがでてきてしまうのであろう。
高山の真の柱は唐人や これが大一神の立服(『おふでさき』)