
宮本百合子が「共産党とモラル」という文章の中で、
三・一五の顛落者が金と女にルーズであったことを忘れてはならない。それからのちあらわれたスパイも金と女にきたなかった。金と女というものは現代の社会でもっとも卑俗な欲望の対象であり、また社会矛盾の表現である。
と述べている。
どうもわたくしなんかは、スパイなどは金と女に汚くなくてむしろ糞真面目であったと思い込んでいた。思い込みというのは恐ろしいものである。スパイというのは、デューク東郷よりもルパン三世みたいな奴らしいのだ。
それにしても、悪口の研究というのはあるのであろうか。日本の権力と、反権力と大衆の関係を考察するのに、重大な論点のように思われるのであるが……。