★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

綱領雑感

2019-07-06 23:14:24 | 思想
Frédéric Chopin: Piano Concerto No. 1 e-minor (Olga Scheps live)


社会党の55年の時点の綱領を初めて読んだ。こういうのも読めば発見があるね……。けっこう思い込んでいたことがあった。

46年6月の共産党による「憲法草案」も読んだ。期待していたのは前文であるが、わたくしが想像していたものより普通の文章であった。私見であるが、文末を少し変えるだけでもう少し戦闘的になるような気がする。印象であるが、今の日本国憲法の前文の文体の方がパンチがあるのだ。あと、なんとなくであるが、天皇制や地主制、家父長制の廃止に関して、これから頑張ってやって行きますよみたいな、共産党の目標みたいな感じになっており、――それ自体はかまわないと思うのであるが、そうした遺制が既にないような前提に立ってつくってもかまわなかったような気がする……。つまり、共産党の案は、憲法というより、共産党の「綱領」じみているのである。と思ったが、マルクスがいったみたく?、戦い自体が目標みたいな感じで行こうと言うことであろうか。確かに、今の憲法は、もうすでに人権も何もかも所与ですみたいな誤解を生みかねない。

そういえば、共産党の案では、天皇制は廃止なので天皇からの叙勲が廃止されているのは当然であるが、勲章そのものはあげることになっている……。わたくしは、叙勲そのものをやめてしまった方がいいと思う。

それにしても、共産党が天皇制をさしあたり容認するが如き言動を最近とっているのは、少数のコアな支持者を逃がしたと思う。これは長期的に見てかなり大きいことだ。志位氏は「(天皇制の)将来の存廃は、国民の総意で解決されるべきだ」(https://www.zakzak.co.jp/soc/news/190607/pol1906070007-n2.html)と述べていて、そりゃまあそうなんだろうけれども、問題は、共産党がマイノリティの意見の味方をしないつもりみたいにみえるので、これはかなりイメージダウンじゃないだろうか。いじめられっこの味方は誰かがやらねばならんのである。

日本資本主義の本質とか大衆の実態とかなんとかは、山本七平とか吉本隆明みたいな人たちに任せればいいんじゃないだろうか。前衛的な人たちは、いつも政治と経済をどっちも一緒にごちゃ混ぜにやろうとする癖がある。問題は恒に難しいので、中途半端に間違えつづける羽目になるが、そうするといつか緊張感が切れて、また架空の大衆に「寄り添う」ことになりそうである。