★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

流れての物語ともなりぬべき

2021-05-07 23:26:33 | 文学


そのかへる年の十月廿五日、大嘗会の御禊とののしるに、初瀬の精進はじめて、その日京を出づるに、さるべき人々、「一代に一度の見物にてゐなか世界の人だに見るものを、月日多かり、その日しも京をふり出でて行かむもいと物狂ほしく、流れての物語ともなりぬべきことなり」など、はらからなる人は言ひ腹立てど、ちごどもの親なる人は、「いかにもいかにも、心にこそあらめ」とて言ふにしたがひて出だし立つる心ばへもあはれなり。

大嘗会の日に初瀬(長谷寺)に行こうとするお嬢さんである。さすがである。ただ、この程度のことで彼女を褒めるのはかわいそうであり、一番すごいのは、こういうエピソードをわざわざ書いて本当に「流れての物語」にしてしまったことである。大嘗会のことを調べようとすると、かならずこの場面が引かれてしまうほどである(しらんけど)。

誠実な人間は、その時代になんとか文化を絶やさない様に努力するが、不誠実な者は、その時代に努力せずにただの教訓や反省を書き残す。こんなことははっきりしている。戦争責任論がいつも不発なのはそのせいである。孝標のお嬢さんは、自らの不敬エピソードを以て後世の人間たちに、天皇とはなんぞやと問わせる――その意味で、彼女は内村鑑三や共産主義者たちに似ているのではないだろうか。

そういえば、ここでの天皇の乳母は紫式部の娘である。「源氏物語」への離反を隠微に示しているのではなかろうかっ

標山には、必松なり杉なり真木なりの、一本優れて高い木があつて、其が神の降臨の目標となる訣である。此を形式化したものが、大嘗会に用ゐられる訣で、一先づ天つ神を標山に招き寄せて、其標山のまゝを内裏の祭場まで御連れ申すのである。今日の方々の祭りに出るだんじり・だいがく・だし・ほこ・やまなどは、みな標山の系統の飾りもので、神輿とは意味を異にしてゐる。町或は村毎に牽き出す祭りの飾りものが、皆産土の社に集るにつけても、今日では途次の行列を人に示すのが第一になつて、鎮守の宮に行くのは、山車や地車を見せて、神慮をいさめ申す為だと考へてゐるが、此は意味の変遷をしたもので、固より標山の風を伝へたものに相違ない。

――折口信夫「盆踊りと祭屋台と」


おそろしいことだ、神様が降りてきてしまうのである。考えてみたら、どこかしら悪人の我々は、そんな状況に耐えられるわけはない。孝標のお嬢さんはもうフィクションは信じないのであるっ。