さるべきやうありて、秋ごろ和泉にくだるに、淀といふよりして、道のほどの、をかしうあはれなる事言ひ盡すべうもあらず。高濱といふ所にとゞまりたる夜、いと闇きに夜いたう更けて、舟の檝の音聞ゆとふなれば、遊女のきたるなりけり。人々興じて、舟にさしつけさせたり。とほき火の光に、單衣の袖ながやかに、扇さしかくして歌うたひたる、いとあはれに見ゆ。
わたくしは、なんとも――喘息で幼稚園にあまりいっておらぬが、一番怖ろしかったのが「お遊戯」というやつで、発作が起こるので苦行としか言いようがないからであった。以前、教育界で、「歌って踊れる」タイプがちやほやされたことがあったように苦々しく妄想しがちなのも、このトラウマがあるからである。私にはよく分からないのだが、――上の「遊女」、その「あそび」の面白さは、少女時代に京に上る途中に出会った遊女の記憶とともにあって、この前の箇所で、良妻・夫出世の欲望丸出しにていた彼女のくせに、また遊びの世界に行こうとしている。仕方がないよ、仕事の世界はつまらないからね……
御乗りやァれ地蔵様
という言葉を唱える。乗るとはその児へ地蔵様に乗り移って下さいということであった。そうするうちにまん中の児は、しだいしだいに地蔵様になってくる。すなわち自分ではなくなって、色々のことを言い出すのである。そうなると他の子どもは口々に、
物教えにござったか地蔵さま 遊びにござったか地蔵さま
と唱え、皆で面白く歌ったり踊ったりするのだが、元は紛失物などの見つからぬのを、こうして中の中の地蔵様に尋ねたこともあったという。
――柳田國男「こども風土記」
わたくしの幼児期に感じていたお遊戯は、こんな面白そうなものではなく、ほとんど「体育」と感情の強制にみえた。そういえば、幼稚園のほぼ存在しない記憶の中で、同年の子が「新造(心臓?)人間ターくん」と呼ばれていて、特別な人間みたいになっていたことを思い出した。上の例で言えば、「地蔵」みたいなものかもしれない。我々は、大人になっても、便利な地蔵みたいなオブジェクトを使って生活している。インターネットだってそういうものなのである。