京極殿・法成寺など見るこそ、志留まり事変じにけるさまは、あはれなれ。御堂殿の作りみがかせ給ひて、庄園おほく寄せられ、我が御族のみ、御門の御後見、世の固めにて、行末までとおぼしおきし時、いかならん世にも、かばかりあせ果てんとはおぼしてんや。大門・金堂など、近くまで有りしかど、正和の比、南門は焼けぬ、金堂はその後倒れ伏したるままにて、とり立つるわざもなし。無量寿院ばかりぞ、そのかたとて残りたる。丈六の仏九体、いと尊くて並びおはします。行成大納言の額、兼行が書ける扉、あざやかに見ゆるぞあはれなる。法華堂なども、いまだ侍るめり。是も又、いつまでかあらん。かばかりの名残だになき所々は、おのづから礎ばかり残るもあれど、さだかに知れる人もなし。されば、よろづに見ざらん世までを思ひおきてんこそ、はかなかるべけれ。
「よろづに見ざらん世までを思ひおきてんこそ、はかなかるべけれ」、自分の死後まで計画を立てるというのは儚いことであって、道長の法成寺もこのありさまなんだから、――という兼好法師である。
しかし、今日のゼミでも話題になっていたのだが、柳田國男が終戦直前の頃書いていた「先祖の話」なんかを読むと、無常観というのは、その実、何者かの持続と裏腹である。兼好法師だって、こういう寺の荒廃を語ってしまうことによって、道長の持続を支えている。道長は死んではいるが死んでいない。共同性の事実において死んでいないのである。
人は簡単に死に、かつ墓におり、帰ってきたり去ったりする循環があって、これはある種の事実性である。それが全部ではないがよくある「家」というものであった。これが国民国家の制度に案外フィットしてしまった事態が問題なのである。
人間がだんだん殖えて世の中が賑やかになると、歴史のおもてに蛇はでなくなつたやうだ。藤原の道長が栄華の絶頂にゐた時分のこと、大和の国から御機嫌伺ひとしてみごとな瓜をささげて来た。夏のゆふ方で、道長は「ほう、うまさうな瓜だな!」とその進物の籠をながめてゐた。そのとき御前に安倍晴明と源頼光が出仕してゐたが、安倍晴明は眉をひそめて「殿、ただいまこのお座敷には妖気が満ちてをります。この籠の瓜が怪しく思はれます」と眼に見るやうに言つた。すると頼光がいきなり刀を抜いてその瓜を真二つに切つた。瓜の中に小さい蛇が輪を巻いてかくれてゐた。これは殿を恨むものの思ひが蛇となつてその瓜にこもつてゐたのだといふ話であるけれど、加工品の中に蛇を隠し込むのとは違つて、瓜の中に初めから蛇の卵がひそんでゐて瓜と一しよに育つたと考へてみれば、それはやつぱり陰陽師安倍晴明が言つたとほり妖しい瓜であつたのだらう。これはごく小さい蛇。
――片山廣子「大へび小へび」
考えてみると、道長も瓜の中で育った蛇のようなものだ。瓜とは我々のなかで生きている『生』の保存法みたいなものだ。晴明のようにある種の暴露によって殊更に復活して表に出てくる。