五月五日、賀茂の競べ馬を見侍りしに、車の前に雑人立ち隔てて見えざりしかば、おのおの下りて、埒のきはに寄りたれど、殊に人多く立ち込みて、分け入りぬべきやうもなし。かかる折に、向ひなる楝の木に、法師の、登りて、木の股についゐて、物見るあり。取りつきながら、いたう睡りて、落ちぬべき時に目を醒ます事、度々なり。これを見る人、あざけりあさみて、「世のしれ者かな。かく危き枝の上にて、安き心ありて睡るらんよ」と言ふに、我が心にふと思ひしままに、「我等が生死の到来、ただ今にもやあらん。それを忘れて、物見て日を暮す、愚かなる事はなほまさりたるものを」と言ひたれば、前なる人ども、「まことにさにこそ候ひけれ。尤も愚かに候ふ」と言ひて、皆、後を見返りて、「ここへ入らせ給へ」とて、所を去りて、呼び入れ侍りにき。かほどの理、誰かは思ひよらざらんなれども、折からの、思ひかけぬ心地して、胸に当りけるにや。人、木石にあらねば、時にとりて、物に感ずることなきにあらず。
この体験談は兼好が十三歳の時だという説があるけれども、歳をとっていても少年でもあってもどっちでもよい気がする。「我等が生死の到来、ただ今にもやあらん。それを忘れて、物見て日を暮す、愚かなる事はなほまさりたるものを」程度の認識で「そうだね」と言ってスペースをあけてくれた群衆の心の広さがすごすぎる。兼好は群衆で馬が見えずいらいらしておったのである。その心を見てとってくれたおじさん達?ありがとう。普通は、「お前も見に来てるひとりじゃねえか、確かに我等が生死の到来ただ今にもあやあらん、これでも食らえ」とぶん殴られるところだ。
二四三段でも仏はどうやって仏になったのだ?という質問をして大人を困らせる八歳の兼好法師が描かれているが、賢い八歳児ならこのぐらいやらかすし、――そして、この八歳児は徹底的に馬鹿なのである。なになぜ少年など腐るほどいるが、たいがいは答えを要求する秀才にはなるが、自分で謎を作り出し、ほんとうに謎を解こうとする人間にはほとんどならない。親の言うこととしては、人に頼るな、てめえで考えろ、でいいのである。
結局のところ、兼好法師がどのようなものにうたれたのかいまいちよくわからないのだが、「木石にあらねば、時にとりて、物に感ずることなきにあらず」といっているところが流石で、我々は物(木石)でないから「物に感ずる」のだという。なんだかよく分からんが、競馬を見に来た群衆は物の集合体であり、そのなかでこそ、なんだかその物的状況が予期せぬ感情を発生させるのである。
デモの効用というやつもそういうところがある。
さて、嫁はどんなのがいいかと聞かれて、その養子の答えるには、嫁をもらっても、私だとて木石ではなし、三十四十になってからふっと浮気をするかも知れない、いや、人間その方面の事はわからぬものです、その時、女房が亭主に気弱く負けていたら、この道楽はやめがたい、私はそんな時の用心に、気違いみたいなやきもち焼きの女房をもらって置きたい、亭主が浮気をしたら出刃庖丁でも振りまわすくらいの悋気の強い女房ならば、私の生涯も安全、この万屋の財産も万歳だろうと思います、という事だったので
――太宰治「破産」
ほんと太宰の文章はうるせえが、おなじ「木石には非ず」と言っていてもこんなに違う。太宰は自分の文章自体を群衆にしようとしているから無理もない。予期せぬ事は起こらないのである。