晦日の夜、いたう闇きに、松どもともして、夜半過ぐるまで、人の、門叩き、走りありきて、何事にかあらん、ことことしくののしりて、足を空に惑ふが、暁がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年の名残も心ぼそけれ。亡き人のくる夜とて魂祭るわざは、このごろ都にはなきを、東のかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか。かくて明けゆく空のけしき、昨日に変りたりとはみえねど、ひきかへめづらしき心地ぞする。大路のさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ。
つれづれなるままにかいているせいか、ときどき話がそれてるのが徒然草のいいところだが、例えば、この「魂祭」の件なんか、兼好法師がこれを書き残さなかったら過去のことを知る人たちは多くの困難を経験しなければならなかったであろう。季節の移り変わりとか、遣り水の煙とか今もありそうなものはどうでもよいが、大晦日に死者の魂を迎える魂祭が京都では廃れてしまっていたとは重大発言である。
いまでも魂祭を大晦日にやってるところもあるから、まさにですね、――現代でも徒然草の京都よりも遅れているところがあると、ここではっきり申しあげておきたい。しかし、これは単に遅れていると進んでいると言うことだけのことで意識の上で差異があるわけではないような気がする。現代でも方違えをやっているうちがあるが、続いているというだけの理由で続いているだけのことであろう。
徒然草がなんとなくつまらない感じがする人たちは、徒然草のえがく年末の忙しさとかそのときの空の美しさとかが、思想的宗教的色彩を剥奪されたルーチンワーク的ななにものかであることを感じるのである。そして、それが我が国ではかなり昔からであることを徒然草は語っている。ところが、折口信夫みたいな人が現れて人の頭からも去ってしまったことを発見したりするのだ。
古代に於ける人の頭には、をりふしの移り変り目は、守り神の目が弛んで、害物のつけ込むに都合のいゝ時であるとの考へがあつた。それ故、季節の推移する毎に、様々な工夫を以て悪魔を払うた。五節供は即此である。盂蘭盆の魂祭りにも、此意味のある事を忘れてはならぬ。
魂迎へには燈籠を掲げ、迎へ火を焚く。此はみな、精霊の目につき易からしむる為である。
幽冥界に対する我祖先の見解は、極めて矛盾を含んだ曖昧なものであつた。大空よりする神も、黄泉よりする死霊も、幽冥界の所属といふ点では一つで、是を招き寄せるには、必目標を高くせねばならぬと考へてゐたものと見える。雨乞ひに火を焚き、正月の十五日或は盂蘭盆に柱松を燃し、今は送り火として面影を止めてゐる西京の左右大文字・船岡の船・愛宕の鳥居火も、等しく幽冥界の注視を惹くといふ点に、高く明くと二様の工夫を用ゐてゐる訣である。盆に真言宗の寺々で、吹き流しの白旗を喬木の梢に立てゝゐるのは、今日でも屡見るところである。
――「盆踊りと祭屋台と」
柳田や折口は伝統の発見者ではない。われわれとは何かをくまなく調べているうちにパーツを見つけるのである。それは根元の一部を照らしているに過ぎない。