★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

法師が覗きを

2021-06-10 23:50:06 | 文学


九月二十日のころ、ある人に誘はれたてまつりて、明くるまで月見ありく事侍りしに、思し出づる所ありて、案内せさせて、入り給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬ匂ひ、しめやかにうち薫りて、忍びたるけはひ、いとものあはれなり。よきほどにて出で給ひぬれど、なほ、事ざまの優におぼえて、物の隠れよりしばし見ゐたるに、妻戸をいま少し押し開けて、月見るけしきなり。やがてかけこもらましかば、口をしからまし。あとまで見る人ありとは、いかでか知らん。かやうの事は、ただ、朝夕の心づかひによるべし。その人、ほどなく失せにけりと聞き侍りし。

徒然草のなかで結構人気の段だと思うけれども、この女を家の外から覗いているところがやはり兼好法師だなと思う。しかも、最後、女が死んだことを聞いたと言って諸々を無に帰してしまう。坂口安吾なら、おまえはなんでそのまま女を訪ねないんだ、と言うであろう。ツルゲーネフならもう少し逢い引き的なシーンにするだろうし、太宰なら、「二人の動物がいました」みたいなゲスな想像をしてしまう。――兼好法師はこういう連中とは違うのだ。しかし、ここで話が終わってしまうのがこの人なのである。

 なかば傾いた西の対の、破れかかった妻戸のかげに、その夕べも、女は昼間から空にほのかにかかっていた繊い月をぼんやり眺めているうちに、いつか暗にまぎれながら殆どあるかないかに臥せっていた。
 そのうちに女は不意といぶかしそうに身を起した。何処やらで自分の名が呼ばれたような気がした。女の心はすこしも驚かされなかった。それはこれまでも幾たびか空耳にきいた男の声だった。そうしてそのときもそれは自分の心の迷いだとおもった。が、それからしばらくその儘じっと身を起していると、こんどは空耳とは信ぜられないほどはっきりと同じ声がした。女は急に手足が竦むように覚えた。そうして女は殆どわれを忘れて、いそいで自分の小さな体を色の褪めた蘇芳の衣のなかに隠したのが漸っとのことだった。


――堀辰雄「曠野」


だからといってこういう展開はつまらないんだか面白いのかわからない。