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蟻のごとくに集まりて、東西に急ぎ南北に走る。高きあり賤しきあり。老いたるあり若きあり。行く所あり帰る家あり。夕に寝ねて朝に起く。営む所何事ぞや。生を貪り、利を求めてやむ時なし。身を養ひて何事をか待つ。期する所、ただ老と死とにあり。その来る事速かにして、念々の間にとどまらず、是を待つ間、何の楽しびかあらん。まどへる者はこれを恐れず。名利におぼれて先途の近き事を顧みねばなり。愚かなる人は、またこれを悲しぶ。常住ならんことを思ひて、変化の理を知らねばなり。
この「変化の理」には範囲が設定されていて、我々が根こそぎ亡くなってしまう殲滅戦とか異民族による虐殺みたいなものはないことになっている。万物は流転する、しかし、そこらの川のように、時々暴れるがだいたいおさまるし、川自体がなくなったりはしない。こういう「無常観」は、世の中の変転に合わせよという所謂「改革ヲタク」の存在を許容してしまうものだ。こういう輩の中には、かなり許しがたくセンスがおかしくなっている連中がいる。
「あれは外国から這入る印刷物を検閲して、活版に使う墨で塗り消すことさ。黒くするからカウィアにするというのだろう。ところが今年は剪刀で切ったり、没収したりし出した。カウィアは片側で済むが、切り抜かれちゃ両面無くなる。没収せられればまるで無くなる。」
山田は無邪気に笑った。
暫く一同黙って弁当を食っていたが、山田は何か気に掛かるという様子で、また言い出した。
「あんな連中がこれから殖えるだろうか。」
「殖えられて溜まるものか」と、犬塚は叱るように云って、特別に厚く切ってあるらしい沢庵を、白い、鋭い前歯で咬み切った。
――森鷗外「食堂」
犬によって犬のように死ぬとは誰も思ってはいないのだが、主観的には誰にでも想像できるようになっている。