つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるるかたなく、ただひとりあるのみこそよけれ。世にしたがへば、心、外の塵にうばはれてまどひやすく、人にまじはれば、言葉よその聞きに随ひて、さながら心にあらず。人に戯れ、ものにあらそひ、一度はうらみ、一度はよろこぶ。その事定まれる事なし。分別みだりにおこりて、得失やむ時なし。惑ひの上に酔へり。酔の中に夢をなす。走りていそがはしく、ほれて忘れたる事、人皆かくのごとし。いまだ誠の道を知らずとも、縁をはなれて身を閑にし、ことにあづからずして心を安くせんこそ、暫く楽しぶとも言ひつべけれ。「生活・人事・伎能・学問等の諸縁をやめよ」とこそ、摩訶止観にも侍れ。
最後に「学問等の諸縁」までも捨てることが推奨されている。こういう激しい拒絶の精神こそが、「つれづれ」の精神なのである。気持ちは分かるけど、もっといい加減な人にも「つれづれ」を開放して欲しいものだ。