★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

つれづれ開放

2021-06-25 23:45:02 | 文学


つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるるかたなく、ただひとりあるのみこそよけれ。世にしたがへば、心、外の塵にうばはれてまどひやすく、人にまじはれば、言葉よその聞きに随ひて、さながら心にあらず。人に戯れ、ものにあらそひ、一度はうらみ、一度はよろこぶ。その事定まれる事なし。分別みだりにおこりて、得失やむ時なし。惑ひの上に酔へり。酔の中に夢をなす。走りていそがはしく、ほれて忘れたる事、人皆かくのごとし。いまだ誠の道を知らずとも、縁をはなれて身を閑にし、ことにあづからずして心を安くせんこそ、暫く楽しぶとも言ひつべけれ。「生活・人事・伎能・学問等の諸縁をやめよ」とこそ、摩訶止観にも侍れ。

最後に「学問等の諸縁」までも捨てることが推奨されている。こういう激しい拒絶の精神こそが、「つれづれ」の精神なのである。気持ちは分かるけど、もっといい加減な人にも「つれづれ」を開放して欲しいものだ。