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静かに思へば、よろづに過ぎにし方の恋しさのみぞせんかたなき。人静まりて後、長き夜のすさびに、何となき具足とりしたため、残し置かじと思ふ反古など破り棄つる中に、亡き人の手習ひ、絵かきすさびたる、見出でたるこそ、ただ、その折の心地すれ。このごろある人の文だに、久しくなりて、いかなる折、いつの年なりけんと思ふは、あはれなるぞかし。手馴れし具足なども、心もなくて変はらず久しき、いと悲し。
まさかとは思っていたが、日本はオリンピックをやるつもりらしく、――そもそも東京に五輪を呼んでくるころから笑いが止まらない感じではあったが、このままいくと笑い★にしてしまいそうであるから、そろそろ真面目に勉強して夏を乗り切らないとただでも弱っている体と心が崩壊してしまう。
ということで、昨日柳田國男の戦時下のことがゼミで話題になったから、弟子・堀一郎の『遊幸思想』(昭和19)を読み始めた。神社巡りをしてみると、神社は一種のコンビニであり、支所であり、と思わざるを得ないのであるが、いまとちごうて確かに誰かがくろうしてやってきて、そこに住んでいる人がさていっちょ石を持ってきて、などとやったわけである。昨今のように、簡単に居場所づくりとか言っている口舌の徒とは違うのである。
わたくしは、しかし、戦時下のどんづまりで日本を覆い尽くしていった遊幸に思いをはせている柳田の弟子が、やっぱりうえの徒然草の思い出人間とあまり違わないような気もするのであった。兼好法師は何歳だったかしらないが、こうなってしまってはほとんど死んでいるのと同じだ。堀はむろん大東亜共栄圏の形成と、かつての日本の仏化と皇化の努力をかさねるみたいなことを表面上やっているわけで、それ自体は観念的なものだが、当時は「満州国」が現実に作動していたのである。
徒然草の作者は、上のような思い出が「あはれなるぞかし」と言っているわけで、まだ若い可能性がある。あるいは、ものすごく鈍感な人である。『すべて水の中』ほどではないが、フラッシュバックでおかしくなりそうな人だけに人生は始まるものだ。思い出に浸るとき、思い出はその実未来に投影されていて、それでもなんの波風も立っていないのだから、――何も起こっていないわけである。怖ろしい思い出は、未来に投影されない代わりに現在に直撃し続ける。
考えてみると、空襲がある日常は、そのフラッシュバックが現在を撃っている状態であるかも知れず、柳田も堀も、新たな日本の創造を果たすつもりだったのかもしれない。そこはもう浪漫派的なものとは違っていたのかも知れない。――とはいえ、そんなことは相対的な違いに過ぎない。物理的な、精神的な破壊がやってきたときには我々はほとんど精神的抵抗は出来ない。
南山の たたかひの日に
袖口の こがねのぼたん
ひとつおとしつ
その扣鈕惜し
べるりんの 都大路の
ぱつさあじゆ 電灯あをき
店にて買ひぬ
はたとせまへに
えぽれつと かがやきし友
こがね髪 ゆらぎし少女
はや老いにけん
死にもやしけん
はたとせの 身のうきしづみ
よろこびも かなしびも知る
袖のぼたんよ
かたはとなりぬ
ますらをの 玉と砕けし
ももちたり それも惜しけど
こも惜し扣鈕
身に添ふ扣鈕
――鷗外「扣鈕」
さすが鷗外で、失われてしまった物体こそが、怖ろしく想念を生むことを知っていた。釦でも命でも同じである。それに比べて、レガシーがなんちゃらと言っている我が国はもはや気が狂っている。前回のオリンピックは、失われたものが多かった時代を通過したからまだましだったのだ。