
芋が好きな僧都がいた。財産を芋につぎ込んだ。食べた。
この僧都、みめよく、力強く、大食にて、能書・学匠・辯舌、人にすぐれて、宗の法燈なれば、寺中にも重く思はれたりけれども、世を軽く思ひたる曲者にて、万自由にして、大方、人に従ふといふ事なし。出仕して饗膳などにつく時も、皆人の前据ゑわたすを待たず、我が前に据ゑぬれば、やがてひとりうち食ひて、帰りたければ、ひとりつい立ちて行きけり。斎・非時も、人に等しく定めて食はず。我が食ひたき時、夜中にも暁にも食ひて、睡たければ、昼もかけ籠りて、いかなる大事あれども、人の言ふ事聞き入れず、目覚めぬれば、幾夜も寝ねず、心を澄ましてうそぶきありきなど、尋常ならぬさまなれども、人に厭はれず、万許されけり。徳の至れりけるにや。
このような人物は大概、人に厭われて何をやっても許されなくなっている。これは、兼好法師の願望ではないだろうか。彼は、ここまで自由になれなかったのである。ここまで突き抜ければ、逆に厭われないのではないか、と空想したのであろう。しかし、そうは現実はいかないのだ。そもそも、この人は坊主だから、スケジュールが働き者とは異なる。働き者が、細かいスケジュールを自由気ままに行ったら、ただじゃすまない。だから、兼好法師は、法師に徳が可能な状況を見なければならなかった。しかしそれは日常に過ぎないのではなかろうか。
人間には智者もあり、愚者もあり、徳者もあり、不徳者もある。しかしいかに大なるとも人間の智は人間の智であり、人間の徳は人間の徳である。三角形の辺はいかに長くとも総べての角の和が二直角に等しというには何の変りもなかろう。ただ翻身一回、此智、此徳を捨てた所に、新な智を得、新な徳を具え、新な生命に入ることができるのである。これが宗教の真髄である。
――西田幾多郎「愚禿親鸞」
西田幾多郎の方がその点、鋭い。徳や智を日常の人間と違う「新生」におけるものとしてみることがなければいけなかった。これは西田の体験から来たものであろうが、人生はそれにしては長く、新生を何度も起こすわけには行かないような気がしたに違いない。