おおよそ、今生においては、煩悩悪障を断ぜんこと、きわめてありがたきあいだ、真言・法華を行ずる浄侶、なおもて順次生のさとりをいのる。いかにいわんや、戒行恵解ともになしといえども、弥陀の願船に乗じて、生死の苦海をわたり、報土のきしにつきぬるものならば、煩悩の黒雲はやくはれ、法性の覚月すみやかにあらわれて、尽十方の無碍の光明に一味にして、一切の衆生を利益せんときにこそ、さとりにてはそうらえ。
はたして親鸞がこういう言い方をする人物だったかは疑問なのであろう。しかし、教化はさまざまなプロセスをとるので、教師もいろいろ矛盾したことを言わざるを得ないことはあるかも知れない。もっともあまりにそういう手段が目的にひっくり返った人物は、しまいにゃナンデモアリだとか言うて、他人に暴力をふるうようになるものだ。馬鹿は死んでも治らない類いは、たいがいこういう逆立ちバカなのである。
こういう逆立ちでも頭が良ければ、ヘーゲルのように逆立ちしたまま大著を書いたりできるのであろうが、大概は自分の罪を購うだけで一生を終える。
それでは一體、何のつもりでお前はこの物語を書いたのだ、と短氣な讀者が、もし私に詰寄つて質問したなら、私はそれに對してかうでも答へて置くより他はなからう。
性格の悲喜劇といふものです。人間生活の底には、いつも、この問題が流れてゐます。
――太宰治「瘤取り」
太宰も、性格の悲喜劇をかきつづりながら、いずれバルザックのような作家になっていきたかったのであろうか。しかし、そうは都合良く行かなかった。彼の意志とは関係なく、彼は罪のために生きることとなったのである。透谷の恋愛観からすると、彼のものは恋愛じゃなくて、どっちかというと現実界の挫折に過ぎないんじゃないかと思うかもしれない。しかし、透谷の自殺がなにか謎を残さない感じなのに、太宰は残している。唯円の「煩悩の黒雲はやくはれ、法性の覚月すみやかにあらわれて、尽十方の無碍の光明に一味にし」云々という中にも、そういう謎はない。