★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

太鼓のきもち

2022-08-18 23:03:08 | 文学


毎年の興福寺の法事にいる事ありて、東大寺の太鼓を借りて勤められしに、一年東大寺より太鼓を貸さずして事を欠きける。衆徒・神主の言葉を、「当年ばかりは。」と添へられ、やうやう借りて仏事を済ましぬ。其の後東大寺より使者を立つれども、太鼓を戻さず。興福寺の寺中、集つて評判する。「数年貸し来つて、今此の時に到り、憎き仕方なり。唯は返さじ。打ち破つて。」といふものあれば、「それも手緩し。飛火野にて焼け。」と、あまたの若僧・悪僧進みて、方丈に声響き渡りて鎮まらず。其の中に学頭の老法師の進み出でて、「今朝より聞くに、何れもの申し分、皆国土の費なり。某が存ずるには、太鼓を其の儘、当寺のものになせる分別あり。」と。「筒の中に『東大寺』と先年よりの書附を削り、新しき墨にて元の如く『東大寺』と書き記し、此の事沙汰せず、東大寺に戻せば、悦び宝蔵に入れ置き、重ねて出だす事なし。


太鼓をかさぬと言い出した東大寺にむけて、興福寺の知恵者が一度「東大寺」と書いてあるのを削って、上から「東大寺」と書いて返却したのだった。で、興福寺側が「預けておいた太鼓を取りに来たよ」と東大寺に出向いて打擲されるが、こうなると東大寺側がはじめ興福寺と書いてあったものをけずって東大寺と書いた可能性が出てきて、もちろん、興福寺側の策謀である可能性も思い浮かびはするが、どっちとも可能性としてはありうることになり、奉行は中をとって、「所有は興福寺、置き場所は東大寺」という風にしたのであった。

めでたしめでたし。――なのであろうか。

そもそも、この太鼓は、ある輩、あ藤原鎌足ね、――が、香川の房前浦で竜宮にとられた宝珠をとりかえすときに海上でどんどんと叩いたものであった。細かいことは忘れたが鎌足は、房前の海女をナンパして子どもを産ませた上に、潜ってとってきてとか頼んだのが話のはじまりであった。そのとき竜王を酔わせるために太鼓を叩いたのである。

竜は太鼓で酔わないし、海女をどこまで潜らせるつもりだこのスカタン

というわけで、興福寺の馬鹿たちはさっさと太鼓を自作すればよいのだ。だいたい、日本で知恵者というのは、どうでもよいものの本質は指摘せずに、仲間割れを避けるための知恵しか出さないのである。

太鼓は、自分は誰かに叩かれなければ、声の出せないのを忘れて、体中に力瘤を入れて意気込んだが、勿論音の出る筈はない。自分の間抜けに気が付いた太鼓は、暫くぼんやりする程がっかりして恥しがった。けれども、恥しいと云うのが口惜しい太鼓は、すっかりやけに成って、いきなりゴロッと小さい粟粒の上に圧かぶさってしまった。
 そして「如何うだ此でもか! ハハハ」
と嬉しそうに笑った。
 太鼓は雨が降っても、風が吹いても粟の上にがん張っていた。がその下では粟が、しずかに地面の水気を吸っている。
 其から半年程経って、又同じ芝生の上に飛んで来た小鳥は、腐った太鼓を貫いて、一本の青々とした粟の芽が、明るい麗らかな日光に輝きながら楽げに戦いでいるのを見た。


――宮本百合子「一粒の粟」


宮本百合子は正義の人であるから、これを人間の話として書いているのだが、実際は我々は太鼓ではない。太鼓は誰かに叩かれるだけでなく、つくられたものである。私は、西鶴の話でも宮本百合子の話でも、最初に太鼓をつくった人が一番エライと思う。