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幽霊のように、蒼白な牧師の顔が戸口に音なく現れた。
「お前さんはよくも私を騙してきたね。甘ったるい声で人の心へ毒を注射するのがお前さんの仕事なんだ。お前さんの連れていってくれた楽園にア、狐や狸ばかりが往来してるじゃないか。私達ア、そいつに肉を喰われるだけだ。お前さんは詐欺師だ。詐欺師だ!」
祭壇を睨んでいたお松の眼が白く光った。彼女はその上へ駈け登った。十字架をはがした。満身の力を集中して、それを踏みつけた、蹴った、叩きつけた。ガアン。鈍い金属音を発してそれはオルガンをしたたか打った。
「ああああああ」
戸口の蒼い顔が低く唸って倒れた。
「兼、さ、行くんだ兄さんとこへ行こうよ。おっ母アはな、これから一生懸命働いてお前を病院さ入れて真人間にしてやるよ。さ、行こうな。兼坊、……」
返事のない娘の細い躯を抱えて、星のまばらな空の下を、お松はシャッキシャッキ歩いて行った。
――矢田津世子「反逆」
わたくしはいつも人生を泥酔しているようなものだとおもっているが、いわゆるアリストテレスのアクラシア論の論点だ。我々はしばしば悪いと思っていることをやってしまっているが、そもそも本当に悪いことだと思っているのかあやしい。イエスは「みんな自分のやってることが分からないのです」と十字架上で語っていたが、これはかれの優しさであろうか。しかし、これは文字通りとるべきであって、ものごとの善悪を判断し、あるいは物事の清濁合わせ飲み、選択的に遂行していると自分では思っている秀才バカがふえてきたことがこの世の体たらくの原因である。つまりこれが詐欺師のようなやつの叢生の原因である。