
坤元亨。利牝馬之貞。君子有攸往。先迷後得主。利西南得朋東北喪朋。安貞吉。
雌馬は大地のシンボルみたいなものかもしれず、その馬の気分でゆけばうまくいくこともおおいのかもしれないが、以前、木曽馬の雌が機嫌が悪いのを見て、馬は大変な動物であると思った。
我々の先祖は馬と暮らしていた。農家には馬の部屋があった。わたしも生まれたての頃、母の実家で馬に会った。愛玩動物にするには大きすぎ、蹴られたらこちらが大けがだ。顔も大きく歯もでかい。我々のサイズよりもなにか別の倫理的感覚が働かないとこやつとはうまくやっていけない。しかも力が強いからあくまで御さなければならないのだ。哲学で、馬や驢馬が比喩的に使われるのはそのせいではなかろうか。そもそも、哲学や倫理は、我々のサイズとは違ったものを考えることで成り立ってきたのではなかろうか。
コンピュターなんかが出てくる前に、我々の先祖だって、気まぐれな力の強い大きな動物を手なづける知恵を働かしていた。これにくらべて、我々はなんであろう。おれたちはこんなに馬鹿なのに、グーグルとかちゃっと何とかつかって頭悪くないふりして、実に不気味でいいとこなんてひとつもない。芥川龍之介「河童」の河童は、我々とサイズが似ていて、文化も似ていてみたいなものである。これはコンピュタに近い。いかにこういうものを相手にすると我々がいらいらして発狂するかを示している。