★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

偉大なものだなあ。聖人の働きは。。

2023-09-11 23:43:17 | 思想


大哉聖人之道。洋洋乎發育萬物。峻極于天。優優大哉。禮儀三百。威儀三千。

礼儀と威儀の多さにびっくりするわ


バスケットボールが自力でオリンピック出場おめでとうございます。ホー金ソン様。寝不足だったので、ほんと試合見てて、人類史上最大の眠気が来た。ヒーローを翼君とか赤木とかに比しているうちはほんとには応援しているとは言えない。ドーハの悲劇はやはり倫理的に正しかったのである。

人文学とか運動族の世界でも、じぶんたちのやってることの理由付けのためにひんまがった偶像になってる過去の書き手というものがいるが気の毒だ。

そういえば、まああれだよな、甘粕事件から目をそらすための福田村事件その他への注目じゃないだろうな、――と思っていたのだが、本日、ちゃんと映画「福田村事件」見てきた。予想してたより劇映画であった。事件の事実はもっと馬鹿馬鹿しく平凡なヤバさがあるんだと思うが、社会派映画とは問題提起および、世論の修正が目的である。どぎつい因果と物事の対照性で、現実のイメージ自体を刷新する必要がある。インテリの世界でも、倫理の過剰さと権力肯定のバランスとかいうと丸山眞男みたいだが、こういう発想の人は下手しなくても権力志向になる傾向にあるきがするのだ、実際どうなってるかだけが問題なんでね。二項を並べてうんうん唸ったところで、事態の打開を図るために結局は権力だ、になるに決まっているのである。すなわち、具体的なイメージが貧しくなってくるとそういう風にならざるえないのが学問の世界である。以前、学生に、モロッコと言えば、映画「モロッコ」と「カサブランカ」だよな、と言って説明していたら、なんかサイバーパンクみたいな話ですね、と言われたことがあるが、確かにそういうところもある。――しかし、まあ、学者や学生の頭の中というのは、砂漠の中を逝く兵隊と女と戦闘機の世界なのだ。

学校の世界では、――大した意見でもないので「~と思ったりします」と(偉ぶって)言うのがむかし流行していた気がするが、最近は「~と思っていて」になっている。ちゃんと「考え中」と言って頂きたい。これをイメージにすると、砂漠の世界である。