★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

「終朝三褫之」、でもやる気あり

2023-09-27 23:25:19 | 思想


訟、有孚窒。惕中吉。終凶。利見大人。不利渉大川。
上九。或錫之鞶帯。終朝三褫之。


お上からベルトを頂いても朝のうちに三度も取りあげられるとは、よほど調子に乗りすぎている。しかし、ともかくもやる気がある奴の仕業に違いない。なんもやる気のない輩はおもしろいこともしない代わりに大失敗もしない。

戦前の小説を読んでいると、地主制度が、積極的な権力というより、税のプレッシャーがあるにも関わらず気合いだけではどうにもうまくいかない生産のせいで、やる気のなさを発散する遺制になっていたことは明らかなようにみえる。地主だけでなく小作人も嘘をつく癖が直らなかったに違いない。そうすると、溜まるに溜まったマグマは暴力という形で噴出するだけである。今だったら、やる気のない集団の中で、ハラスメントやクレームが飛び出す。で、やる気のない奴は目標をしっかり掲げろとか他人に要求する。で権力を持った奴がますます過大な目標で集団を縛り上げつつ、その縛り上げられた集団はどうせ目標なんか達成できないから嘘をつく。しかし、それを罰することには限界があるので、目標を掲げた方が今度は達成したかのような嘘をつく。

地主制解体をうながしたとも言われる戦時下の皇国農村確立運動が、戦後の農地改革との関係でどれだけ重要だったのかはよくわからない。地主をいいことに政治家や教師になって農家をおろそかにし、ちゃんと農業をやらなかったため土地を農家に貸してたんだみたいなことを言う、元地主なんかもいたであろう。しかし、近代の国策との関係で彼らだって右往左往していたのである。農民としての誇りは元武士だったかもしれない証明できない夢想と結びつき、様々な系図がつくられたであろう。それが一部本物だったとしても、それをつくること自体に頼るべきプライドを形作る理由を隠蔽するという嘘が混じっている。本当でありたいその嘘は、ほんとに由緒がある天皇家に対する崇拝と強迫として結びつく。つまり、本気で崇拝している奴の方がまだましだということである。それをそのほかのものと関係づけているやつは偽物である。