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国破山河在
城春草木深
感時花濺涙
恨別鳥驚心
烽火連三月
家書抵萬金
白頭掻更短
渾欲不勝簪
井本農一は、かつて『帝国文学』の編集をしていたこともあった青木健作の息子である。井本は「懐郷・ロマンティズム・本意考」で、日本は狭いんで「家書抵萬金」みたいな、痛烈な懐郷はない、と推測している。で、連歌作者たちがほんとは懐郷の念なんか感じたこともないのにロマンティシズムのためにそれをやってると。日本人においては、どこか嘘をつくことと叙情が結びついている、みたいな主張であろうが、まだ、懐郷なんかはそこそこある場合があるんだからましな方だ。問題は、政治のことばとかの方であろう。
権利とか義務みたいなことばも、何が何だか使い方がめちゃくちゃになってしまう。
例えば、他人が自分のお願いを聞いてくれるようになるには手間がかかる。何年もかけて信用をえないとちょっとのことでも人は聞かないです。こんなことは単なる人間の集団の否認できない現象である。こういう人間関係上自然に起こらざるをえないことと、義務と権利がセットであるべき、みたいな狂った議論がごっちゃになっている。