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毎日の曇天。十一月の半過ぎ。寂とした根岸の里。湿った道の生垣つづき。自分はひとり、時雨を恐れる蝙蝠傘を杖にして、落葉の多い車坂を上った。巴里の墓地に立つ悲しいシープレーの樹を見るような真黒な杉の立木に、木陰の空気はことさらに湿って、冷かに人の肌をさす。
淋しくも静かに立ち連った石燈籠の列を横に見て、自分は見晴しの方へと、灰色に砂の乾いた往来の導くままに曲って行った。危い空模様の事とて人通りはほとんどない。ところどころの休茶屋の、雨ざらしにされた床几の上には、枯葉にまじって鳥の糞が落ちている。幾匹と知れぬ鴉の群ればかり、霊廟の方から山王台まで、さしもに広い上野の森中せましと騒ぎ立てている。その厭わしい鳴声は、日の暮れが俄かに近いて来たように、何という訳もなく人の心を不安ならしめる。
――永井荷風「曇天」
曇天でもまだ暑い。逆に閉塞感まで加わっていやなかんじである。会議の途中で豪雨が来ていた。朝は、晴れていて、最近朝顔が元気であった。ひまわりもそろそろ咲きそうだ。木曽的体感で言うと、初夏(3-6月)→高松ファッキン砂漠(7-10月)→晩夏(11-12月)→春(1・2月)こんな感じである。日本は四季があって~、とか今は昔である。
はっきり批判しないから、ひとつの批判のために5人ぐらいの質問者が徐々に核心に近づいてゆくという時間の浪費がときどなされているが、高松の四季ならぬ一年のようである。それが一年のようであるのは、そのゆっくり核心にいたる批判は、徐々に批判であることの意味を剥奪されてしまい、ただの意見の羅列になってゆくからである。
一方、人の人生の方は、そもそも推移を正しく認識することさえ難しい。昔はこうであったが、みたいな認識ほとんど間違っている。しかし、昔はえがったなあ、みたいな感情そのものは間違ってない。この矛盾がはなはだしくなって人は次第に死ぬであろう。