
九三。需于泥。致寇至。六四。需于血。出自穴。九五。需于酒食。貞吉。上六。入于穴。有不速之客三人来。敬之終吉。
泥の中なのか、血の海のなかなのか、穴なのか、――人は需(待)つときには場所が発生するということであった。現代なんかは居場所論が大流行であるが、人々が待っているからである。安部公房の処女作も穴で待つ小説であり、彼はそれが出発だと言っていたようなきがするが、その出発は、死からの出発などという逆説じみたものよりも、占いのように、それが突然食卓や匣の中になったりするたぐいであったかもしれない。彼の体験した中国での戦争とは、そういう因果が見えない滅茶苦茶な世界だったのであろう。たぶん、そういう空間でしか、創発みたいな感覚は起こらないのである。
適切に自分や部下を休ませるのも難しいのかもしれないが、勇気と知恵があればなんとかやれるかもしれない。ところが勇気と知恵は機械的に休んでても身につかないような気がするのだ。それを成し遂げるためには、中国での戦争のような環境が心の中で必要である。
文学散歩みたいなものって昔からなんか嫌だったんのであるが、保田與重郎の「佐渡へ」ぐらいの感じだったら許せる。前者は因果律と連想の世界である。後者は、無調になった「武蔵野」の世界のようである。旅の文学は、近代の鉄道による目の変容で妙なものになったが、保田は佐渡にゆくときに船に乗っていて、これが、リアルになった土佐日記のようで、これが「武蔵野」から古代への逆行を可能にしている気がする。