パツセン大街道のひのきから
しづくは燃えていちめんに降り
はねあがる青い枝や
紅玉やトパースまたいろいろのスペクトルや
もうまるで市場のやうな盛んな取引です
――宮沢賢治「春と修羅」
街灯で宮沢賢治を想起するひともいるに違いない。『まんが日本昔ばなし』にでてくるおにぎり山は、作画の池原昭治氏が香川県出身であったことと関係があるという説がある。最初にマリンライナーにのって香川にちかづくにつれ風景とつられて「ぼうや~」という曲が浮かんだのは、ただの連想ではなく、画と実景の一致であったかもしれない。このように、作品にかかれたものは、いろんなものを導き出す。
私はあれこれ頭をなやませた揚句、母にせがんで、お茶の水の宮様専門のセーラー服店でとび切り上等のカシミヤのセーラー服を作ってもらった。上衣を思いきり短く、イキに、そして、アコーディオンのように、ひだの多いすてきなセーラーを。私は、後で学校をクビになるまで、この一着を着通した。
――高峰秀子「私の渡世日記」
一方、すべてが導き出されるわけではない。戦前の世代には、ときどき「学校を首になる」という人がいた。この緊張感はわれわれにはもう分からなくなっている。想像はできるが。。。