あやしう躍り歩く者どもの、装束き、仕立てつれば、いみじく「定者」などいふ法師のやうに、練りさまよふ。いかに心もとなからむ、ほどほどにつけて、母・姨の女・姉などの、供し、つくろひて、率て歩くも、をかし。蔵人思ひしめたる人の、ふとしもえならぬが、その日、青色着たるこそ、やがて脱がせでもあらばやと、おぼゆれ。綾ならぬは、わろき。
わたくしはもともと感想文を美味くやらかすたちではなく、妄想タイプである。大河ドラマをみていても、スカートをはきたいとは思わないんだが、十二単は着てみたいとか考えていた。
枕草子について、あれは特殊な非日常系のエッセイなんじゃないでしょうかと、昔、中学だか高校の先生に言ってみたらハテみたいな顔されたけど、今回の大河ドラマで分かっただろ、貴族の日常みたいなものじゃないことが。
文学にとって「日常」とは何か考えていたので、今日は、講義で、サルトルの情動論と文学の「日常系」の関係みたいな妄想を繰り広げて研究室に帰った。
雨が降っていた。