野家啓一氏が「物語の哲学」で、キャッチボールをしているときには0.5秒前に投げられたボールを受け取っても「過去の球をいま受けた」とは言わない、と述べている。
ただ、確かにかかる表現には「物語」の萌芽がある。というより、巻き戻し願望というべきかもしれない。スローモーションはそもそも一回以上巻き戻されているものである。
我々はますます一瞬の出来事に対する運動神経を失っている。
だいたい、キャッチャーは「過去の球をいま受けた」どころか、「いま受けたぜ」とも言わない。だまって球を受け続ける。
昔CMで「時は流れない、それは積み重なる」とか言って洋酒を飲んでいた男がいたが、全く信用ならない男だ。適当に自分の罪を忘れたやつのせりふだ。いちいち時が積み重なっていたら、人類はもうこれからたえられん。
さっき会った猫は美人だった。時は流れない、それは積み重なる。しかし猫が積み重なることはないのであった。
ただ、確かにかかる表現には「物語」の萌芽がある。というより、巻き戻し願望というべきかもしれない。スローモーションはそもそも一回以上巻き戻されているものである。
我々はますます一瞬の出来事に対する運動神経を失っている。
だいたい、キャッチャーは「過去の球をいま受けた」どころか、「いま受けたぜ」とも言わない。だまって球を受け続ける。
昔CMで「時は流れない、それは積み重なる」とか言って洋酒を飲んでいた男がいたが、全く信用ならない男だ。適当に自分の罪を忘れたやつのせりふだ。いちいち時が積み重なっていたら、人類はもうこれからたえられん。
さっき会った猫は美人だった。時は流れない、それは積み重なる。しかし猫が積み重なることはないのであった。