鎮守の森発見。となりは公園で、そこからの入口がいくつかある。子どもが何人か森の中に入ってまた出てきた。
一つは「立石八幡宮」としての入口。
まだまだおられる神話の神々。八幡なんだよね、神様はね……
もうひとつ、木の間からの入口から左側には、
白髪大明神!(猿田彦系かな?ココホレシカシカのご老人であろうか)近江の白鬚神社と関係があるかは不明。謡曲にもあったね「白鬚」。
阿
吽
文久時代の狛犬でした。
狛犬の近くには、高松の名木
「クロガネモチ」
道路から入る入口は二箇所で、「平成天皇即位10周年」の注連石あり。
改修の時に藤棚もつくったらしいのです。いいと思います。
やっぱり出水が「何か」をつくってるな――
立石神社の鳥居でござる
由来は、伏石神社で説明した通りですね……
拝殿
水
昭和四〇年代
ここにもお馬さんがいました
「立石」
結局、「三所八幡又三石八幡」とも呼ばれる三神社であったが、どうも石と水と八幡信仰がうまく結びつかないのであるが、今度勉強してみよう。
それはともかく、近代文学の学徒であるわたくしは、石と言えば、坂口安吾のこれを思い出す。坂口安吾に惹かれる人は、この人の石のような感触にしびれているのではなかろうか。私は少なくともそうであり、真夏の暖かい石のような人だろうなあと思うのである。
私はそのころ中学生で、毎日学校を休んで、晴れた日は海の松林に、雨の日はパン屋の二階にひそんでゐたが、私の胸は悲しみにはりさけないのが不思議であり、罪と怖れと暗さだけで、すべての四囲がぬりこめられてゐるのであつた。青空の下へ自分一人の天地へ! 私は白痴の切なさを私自身の姿だと思つてゐた。私はこの白痴とは親しかつた。私は雨の日は別邸へ白痴を訪ねて四目置いて碁を教へてもらふことが度々あつたのである。
ゴミタメを漁り野宿して犬のやうに逃げ隠れてどうしても家へ帰らなかつた白痴が、死の瞬間に霊となり荒々しく家へ戻つてきた。それは雷神の如くに荒々しい帰宅であつたが、然し彼は決して復讐はしてゐない。従兄の鼻をねぢあげ、横ッ腹を走るついでに蹴とばすだけの気まぐれの復讐すらもしてゐない。彼はたゞ荒々しく戸を蹴倒して這入つてきて、炉端の人々をすりぬけて、三畳のわが部屋へ飛びこんだだけだ。そしてそこで彼の魂魄は永遠の無へ帰したのである。この事実は私の胸に焼きついた。私が私の母に対する気持も亦さうであつた。私は学校を休み松林にねて悲しみに胸がはりさけ死ぬときがあり、私の魂は荒々しく戸を蹴倒して我家へ帰る時があつても、私も亦、母の鼻すら捩ぢあげはしないであらう。私はいつも空の奥、海のかなたに見えない母をよんでゐた。ふるさとの母をよんでゐた。
そして私は今も尚よびつゞけてゐる。そして私は今も尚、家を怖れる。いつの日、いづこの戸を蹴倒して私は死なねばならないかと考へる。一つの石が考へるのである。
――坂口安吾「石の思ひ」(昭21)