★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

季節はめぐる

2021-05-01 23:53:45 | 文学


人はみな春に心をよせつめり われのみや見む秋の夜の月
とあるに、いみじう興じ、思ひわづらひたるけしきにて、「もろこしなどにも、昔より春秋のさだめはえし侍らざなるを、このかうおぼしわかせ給ひけむ御心ども、おもふに、ゆへ侍らむかし。我が心のなびき、そのをりのあはれともをかしとも思ふことのある時、やがてそのをりの空のけしきも、月も花も、心にそめらるるにこそあべかめれ。春秋をしらせ給ひけむことのふしなむ、いみじううけたまはらまほしき。


色男と女たちの、春秋優劣論。秋が贔屓の子が「わたしだけが~」と拗ねたので、色男が「我が心のなびき、そのをりのあはれともをかしとも思ふことのある時、やがてそのをりの空のけしきも、月も花も、心にそめらるるにこそあべかめれ」と、なんか良いこと言っている。――気がするのであるが、色男というのは、相手の心を勝手に決めつけ、自分はその心のように輝いているだろう、そうだろう……、と相手に恋を迫ってくる。

GO TO HELL

白雲のゆききもしげき山の端に
旅びとの群はせはしなく
その脚もとの流水も
しんしんめんめんと流れたり
ひそかに草に手をあてて
すぎ去るものをうれひいづ
わがつむ花は時無草の白きなれども
花びらに光なく
見よや空には銀いろのつめたさひろごれり
あはれはるかなる湖うみのこころもて
燕雀のうたごゑも消えゆくころほひ
わが身を草木の影によこたへしに
さやかなる野分吹き來りて
やさしくも、かの高きよりくすぐれり


――朔太郎「秋」


定期的にオリンピックを二回もやる実力をなくした国の国民としては、やはり四季はめぐるのだと思わざるを得ない。何を言ってもよい状態になっていない国がなにか大きい行事をやろうと思っているのがそもそも思い上がっているのだ。話し合いをきちんとやれと言うより、弁証法というものが信じられていない限り、集団は物事を成すことはできないのであった。ひとつの目標を成し遂げようとする場合に、まず意思統一を図ろうとか、統制を図ろうとかしている時点で、思想が完全に幼稚園なのだ。

この二年間は、コロナをダシにした、たぶんオリンピックへの行動・思想統制のプロセスであった。だれでもこのぐらいは言っているのだが、これに対する反発が、引きこもるか、えいじゃないか的に街に繰り出すしかないのが、まさに「ケ」「ハレ」の組み合わせをしていれば季節が動いて行くだろうという諦念を感じさせる。