★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

たのむ、オラに元気をわけてくれ!!!

2022-08-03 23:03:02 | 思想


慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というは、ものを憐れみ愛しみ育むなり。しかれども、思うがごとく助け遂ぐること、極めてありがたし。浄土の慈悲というは、念仏して急ぎ仏になりて、大慈大悲心をもって思うがごとく衆生を利益するをいうべきなり。


これは教育のようなものにも当てはまる。慈悲の心を以て子どもに近づいていっても子どもが教育されることは有り難い。だからまず仏になってもう一回慈悲に降り立たなければならない。つまり勉強してないやつが、教壇に立つなどもってのほかというやつであった。

いまや衆生を救おうではなく、「みんなオラに元気をわけてくれ」、つまりマンガの主人公みたいな感じである。主人公にならないとみんなが助けてくれないのである。そうでなければ、いわば「みんなの元気は既にいただいた今度も予告なしにいただきたいと思うので来週もぜってえ働いてくれよな」みたいな消費税方式が横行するばかりだ。

私の云ひたいことは、今や、衣食住だけ足りれば好い人達の時勢だといふことである。平凡万能だといふことである。さうして、平凡万能の時勢が、表明するとしないとに関らず醸しだしてゐる空気といふものは、智的なものでも芸術的なものでもないといふことである。
 それをよいともわるいとも私は思はぬ。然し、そのやうな空気の中に元気でゐられるといふことは、インテリらしいインテリではないと云ふのである。
 そして、その空気が、インテリに適してゐるとゐないとに関らず、つまり、世間が観念を必要としようとしまいと、例へば芸術といふものは、観念に依存した事であるといふのである。
 恐らく、芸術家は、昔日よりも、一層の孤独を必要とするであらう。


――中原中也「作家と孤独」


中也にしては平凡な意見な気がするが、さっき講談社文庫の『東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典』を眺めていたら、ほんとあんまりにも文学者たちは切れ味をなくしてぼやっとしているのをみて、まだましであると思った。大江健三郎でさえ、エロチックな黒人みたいな正義をまぶしたような描写をするだけであるし、ひどいのは小田実で、戦争では神風は吹かなかったが、開会式は青天でつまり神風ふいたねみたいなことを言っている。みんな、元気をオリンピックに吸い取られたのであろう。考えてみると、小田実は、神風でオリンピクスタジアムをなぎ倒せみたいな、思い切って右翼的言動をとれば、抑圧された日本の何者かに気付いたかもしれないのである。

悪人正機

2022-08-02 23:02:15 | 思想


善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。しかるを世の人つねにいわく、「悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや」。この条、一旦そのいわれあるに似たれども、本願他力の意趣に背けり。そのゆえは、自力作善の人は、ひとえに他力をたのむ心欠けたる間、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力の心をひるがえして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生を遂ぐるなり。煩悩具足の我らはいずれの行にても生死を離るることあるべからざるを憐れみたまいて願をおこしたまう本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人は、と仰せ候いき。

我々は根本的に悪人であって善人と称するものは自意識の膜のなかでのことに過ぎないのであるからして、いわゆる世間的に非難されることによってその膜が破損した「悪人」は一歩他力本願に近づいている。もっとも近づいているだけであるが、悪人を救う弥陀の目的に自ら接近していることになるのであろう。それにしても、根本的に煩悩にまみれた悪人だと自覚することと世間的な「悪人」になることにはだいぶ開きがあるはずである。実際は、他人によって生死を決められる状態に置かれる事態が「悪人」だという事情が大きい。その「他」は仏の力なんぞではなく、単に他人のことであり、そんな不自由の中でわれわれのなかには真の何かが見えてくると思われたのである。これは案外、自らを頼んでいるようで自分の眉間にいつ刀が振り下ろされるかわからない武士たちに当てはまっている気がする。

そういえば、本多顕彰が『歎異抄入門』で、彼が結核になって歎異抄を読む前に、福来友吉などの念写実験とか霊魂の話とかに熱中したと言っていた。映画で有名になった貞子による念写実験は、井上哲次郎とか筧克彦の立ち会いの下に行われた。なんだか、立ち会っている人もなにかそれっぽいというかなんというかなのであるが、それはともかく、――歎異抄にのめり込む人たちのなかには、科学?や唯物論にのめり込んだひとたちがいる。案外、科学は死を体験するのであろうか。

万物は皆な流れ去るとヘラクリタスも言った、諸行は無常、宇宙は変化の連続である。
 其実体には固より終始もなく生滅もなき筈である、左れど実体の両面たる物質と勢力とが構成し仮現する千差万別・無量無限の個々の形体に至っては、常住なものは決してない、彼等既に始めが有る、必ず終りが無ければならぬ、形成されし者、必ず破壊されねばならぬ、生長する者、必ず衰亡せねばならぬ、厳密に言えば、万物総て生れ出たる刹那より、既に死につつあるのである。
 是れ太陽の運命である、地球及び総ての遊星の運命である、況して地球に生息する一切の有機体をや、細は細菌より大は大象に至るまでの運命である、これ天文・地質・生物の諸科学が吾等に教ゆる所である、吾等人間惟り此鈎束を免るることが出来よう歟。
 否な、人間の死は科学の理論を俟つまでもなく、実に平凡なる事実、時々刻々の眼前の事実、何人も争う可らざる事実ではない歟、死の来るのは一個の例外を許さない、死に面しては貴賎・貧富も善悪・邪正も知愚・賢不肖も平等一如である、何者の知恵も遁がれ得ぬ、何者の威力も抗することは出来ぬ、若し如何にかして其を遁がれよう、其れに抗しように企つる者あらば、其は畢竟愚癡の至りに過ぎぬ。只だ是れ東海に不死の薬を求め、バベルに昇天の塔を築かんとしたのと同じ笑柄である。


――幸徳秋水「死生」


獄中にいる幸徳秋水ですら科学を口にする。この科学というのが、「善」に近いものがある。この「善」は他力のようなふりをしているから厄介だ。我々は科学によって生きているのではなく、何を行ったかその結果によって生きている。

浄土か地獄か知らぬ件

2022-08-01 23:55:13 | 思想


親鸞におきては、「ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべし」と、よき人の仰せを被りて信ずるほかに、別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土に生まるるたねにてやはんべるらん、また地獄に堕つる業にてやはんべるらん、総じてもって存知せざるなり。たとい法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候。


信心もないものが「念仏、あるいは別のせりふとか便利なものがあれば往生極楽するのかのう」みたいなこと言っててもしょうがない。念仏を唱えることは信心を高める何か呪文のようなところがあり、極端なはなし「おはよう」と似たところがある。言葉の世界は心を乱す。日蓮に襲われた念仏論者たちは日蓮の言葉のピストルに動揺する。そして、師匠に確かめに来てしまった。

親鸞は確かにおれが浄土に行くか地獄に行くかはしらん、と言ってのける。彼にとっては信心とは未来に伸びる実践としての信心である。そりゃ確かにわからんわな。

例えば、この文章を批評せよという課題を出すと感想文よりも高度なものが提出されていた時代は終わった。いまはむしろ、素朴な感想が書けない代わりに、明らかに間違った判断を性急にしている「間違っている文章」が提出されてくる。わたしは以前から、感想文じゃだめで根拠のあるレポートをかかせるというやり方を一般化すべきではないと主張してきたけど、正直なところ、ほれ見たことかという気分である。エビデンスとは、レポートなんかでは恣意的に選ばれた知識であり、選ばれた主張を選ばれた証拠で固めてもなんの正しさにも到達しない。小林秀雄ではないが、批評とは「己れの夢を懐疑的に語ることではないのか」。懐疑的に語ることが精々なのである。

研究でも、根拠と結論しかなくて根本的におかしいものが昔からあって、昔の私のものなのどそれかも知れない。根本的にセンスが狂っているもの、生き方が賢しらなものはだめであった。出席してれば単位OKみたいな価値が、ついに書くものにまで及んでいるのであった。

レポート書けば不可地獄に行くか秀浄土にいくかしらねえよ、としか言いようがない。――いま思ったんだが、やはり地獄や浄土は存在せず、その人間の駄目な生涯だけがあるのだ。最近は、死人に対して「天国に行った」みたいな、もはや何教かも分からないせりふが国営放送から流れてくる段階である。

白水社の一店員が、出版の事で、出頭を命じられた時、いきなり「お前は何だ」ときかれたさうである。「何だとはどういふ意味です」と反問したら、赤かファッショかと質問された。
――萩原朔太郎『「シンニッポン」欄』


赤かファッショか、どちらが地獄なのか浄土なのか知らないが、当時の警察もまだ親鸞の不肖の弟子レベルであった。いま戦前の白水社の堂々たる出版物をみて赤でありファッショであるとしか言いようがないかもしれないが、――より厳密に言えば、共産主義もファシズムも当時の「知的ファッション」という側面があった。そんなものに惑わされている警察は一生迷いから抜け出られない。浄土や地獄に行ったのは、本を真面目に読んで行動した連中だけだ。