Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「老いの深み」から 3

2024年06月19日 22時53分51秒 | 読書

   

 「老いの深み」(黒井千次)のⅢ「危ない近道の誘惑」の12編を読み終えた。今回目を通したいづれも自分としては、なるほど、と素直に理解できた。

テレビのコマーシャル画面における階段を昇る人の軽快な動きの美しさ、好ましさは否定しようがないけれど、しかし一方、それが実現しているのは、老いの果実が身の内に稔ろうとする動きを拒み、遠ざけようとした結果ではないのか、と考えてみたい誘惑を覚えずにいられない。・・・マケオシミついでにいえばその場合に一つだけはっきりしているのは、〈老い〉の中らに〈若さ〉は拒まれていることだろう。」(「若さを失って得られる〈老いの果実〉」から)

 「健康食品」や「機能性表示食品」なるもののコマーシャルの効能の嘘やトンでも論理については、近いうちにこのブログにも記載したいと思っていたが、こういう視点もなかなか面白い。
 私はこの文章の程度に「負け惜しみ」をいう筆の運びが気に入っている。コマーシャルのあの過剰な〈若さ〉の強調にはいつもうんざりしている。〈若さ〉ばかりが価値ではないという視点でものごとも考えてみるのもいいのではないか。私はそのほうが、それこそコマーシャルとして成功するようにすら思っている。

〈若さ〉や体力を失ったかわりに、〈老い〉の細道を辿ったからこそ見えてくるものがありそうな気がする。背筋を伸ばして階段を昇ることは難しくとも、足もとの地面にしゃがみこんであたりを観察する機会が生まれるかもしれぬ。・・〈若さ〉の速度や視覚が見落としているものの姿が、まざまざと目に映るということがあっても、不思議はないだろう。貯えられた〈知〉が〈老い〉を豊かなものに変えていく可能性は十分にある。」(同)

 こういう視点の変容を私はいつも気にかけていたい。そんなことが少しでも匂わせるものをこのブログにも記載したいものである。


「老いの深み」から

2024年06月14日 20時29分25秒 | 読書

 「老いの深み」(黒井千次)の10編ほどに目を通した。

日々の暮らしの中で、失敗することが俄かに多くなった・・。(緑内障で)一方の眼しか見えなくなると、手もとの遠近の感覚が衰え、モノの奥行きがなくなる。急に単眼状態になると奥行の感覚が狂うのは仕方がないとしても、(以前のように)それを補う立体感がいつまで経っても戻って来ない。・・・・(幼児にとって)転ぶことは歩いたり走ったりする準備活動であり、避けて通れぬ門である。年寄りの転倒は加熱のカッカなのだ。成長期の子供は未来に向けて転ぶのであり、老人は終わりにに向かって転ぶのだ。食事の折、背の高い器はきっと手にひっかけてテーブルから落とすぞ、と予感が走る。予感が的中すると満足を覚える。」(「老人にとって失敗とは」)

 最後の結論の文章がいい。ここまで「自分が老人であること」を客観視し、その状態を達観して楽しむ境地、なかなかいい。実際には「テーブルから落とす」ことはなくともその想像力を楽しむゆとりを持ちたいものであるる

居眠りは年寄りの視線なのであり、生きていることの表現なのである。年寄りとは膨大な量の居眠りを背負って生きている人々のことだ。(居眠りの)背後に見えないまま隠されている膨大な月日は、日常的には気づかぬことがあっても、時にはあらためてその時間の袋のようなものに対決してみる必要がある。」(「居眠りは年寄りの自然」)

手にしている物を落とすことが多くなった。幹事としては〈落とす〉という他動詞より、〈落ちる〉という自動詞のほうがよりふさわしいように思われる。・・これは自然現象ではなく、手や指先の不注意な動作によって発生した自己であるとして当の本人の気のユルミや振る舞いの粗暴さが責められる。さかのぼって原因を究明してはいけない。老いたる当事者としては、身を縮めてその場から遠ざかるのが賢明である。」(「いずれ手放す、その時まで」)

 ここまで茶目っ気のある生きかた、そういう生きかたができる作者がうらやましいと思う。こういう歳の撮り方をしたいものである。ただしこの一編の「手放し」てしまったたものは意味深である。


「春画のからくり」 2

2024年06月12日 11時13分49秒 | 読書

   

 「春画のからくり」(田中優子)の「いけないヌードから正しい春画へ」、「江戸はトランスジェンダー」、「春画の隠す・見せる」を読み終えた。

私がフェミニストの運動家なら許さないだろうと思う現象が巷では起きている。女性ヌードの氾濫である。なぜ、女性なのだろうか、なぜヌードなのだろうか。春画には女性ヌードは皆無だからだ。春画は必ずといっていいほど、着物を来ていたり欠けていたリス。ヌードを見せるための絵ではなく、性交を見せるための絵だからである。春画は着物やついたてや襖などで、身体をできるだけ隠し・・。多くの春画は男女ほぼ同じ露出度である。春画は「笑い絵」ともいわれ、・・からりとした生の笑いと喜びとエネルギーは、人間を元気づけるものだからだろう。おおかたの女性は、一方的な視線に興味は持たないのかもしれない。」(「いけないヌードから正しい春画へ」)

喜多川歌麿は春画の中にドラマを作り上げた・・。歌麿の春画における着物や調度はすべて、ドラマを仕組む小道具になっている。春画はそれだけ洗練され、物語性に向かって集中していった。」(「春画の隠す・見せる」)

葛飾北斎は、個の中に増殖してゆく幻想や、おのれの独特の視覚を通した外界をそのまま描く天才的な能力があったが、「関係」を描くことや、絵を見る側の内面を想像することのできない絵師だったのかも知れない。」(「春画の隠す・見せる」)

「隠す・見せる」というのは基本的な表現技法のようにも思えるが、そのバランスを保つのは容易ではない。いつの時代でも可能、というわけでもない。作る側・見る側ともに、共通の教養基盤があってこそ、隠すこともでき、相互の想像裡で見せる・見る、という関係も作り出すからだ。その共通基盤が失われてしまうと、誰に見せてもすぐにわかるものへと傾斜してゆくであろう。一見月並みと見える表現の中の小さな差異を探り当て、コミュニケーションの喜びを見出すというのは、かなり深い教養のいるものであるし、互いにある程度共通した知識と感性がなくては、成立しないのである。・・絵画(浮世絵)にとどまらず、江戸期の文芸も同じ途を辿っていった・・。一定の教養を背景にして成立する文学・浮世絵の方法が姿を消し、誰でも見て読んですぐ判る、という大衆化路線に姿を変えていったのである。日本にとって近代への準備でもあった。・・大衆消費社会の出現――春画の表現はそれによって大きく変わったのではなかろうか。」(「春画の隠す・見せる」)

 「日本の裸体芸術」(宮下規久朗)とは違って、前半は江戸時代に限った論稿ではある。前半は構図や描かれたものの変遷から時間軸を辿り、春画だけでなく、文化自体の変遷を遡上にのせている。江戸時代以降への言及は後半に期待。


「老いの深み」から

2024年06月10日 22時33分26秒 | 読書

   

 「春画のからくり」(田中優子)を少々読んだのち、黒井千次の「老いの深み」から2編ほどを読んだ。
 なるほどという感想と、そんな考えもあるのかと感心することと、そして「俺は反対のように感じていた」と首をひねる個所とがある。人間だから人それぞれの感想なり、思いがあるのが当然でそれが面白くてこの本に目を通している。
 本日読んだのは初めの方の「ファックス止り」と「まだ青二才という爽快感」の二編。
 「ファックス止り」では、「自分がついていけるのは、せいぜいファックスまでだな。」という感想を述べ、その理由として「(ワープロ・パソコン等の)その先になると、文字を手で書くのではなく、機械とのやり取りの中から文字を呼び出すような仕事となるためか、〈書く〉という行為のあり方が変わって来そうな気がする」を挙げている。
 すっかりパソコンにはまり込んで、パソコンがないと思考そのものが前に進まなくなった私も同感である。私の場合はワープロまでは「手書きの代わり」ですんでおり、手書きとの割合は半々であった。しかしパソコンになってから、いつの間にか鉛筆ではなくキーボードを叩きながら思考するようになった。著者の指摘のとおり、機械との対話の中で、思考と文字を呼び出している。

 さて、「まだ青二才という爽快感」も、パーティーで自分より年上の画家のしゃんとした立ち居振る舞いに感心しながら、「自分はこの画家に比べて明らかに若輩なのであり、未熟で足りぬことばかりの青二才にすぎず、失敗する場がこの先にいくつでも残されているのだ、という自由の感覚が芽生え、少年のような爽やかな気分の中に自分が放たれているのを感じた。」とある。ちょっと不思議な感覚だな、と思った。年上の人が自分よりもしゃんと立っている姿を見て、自己卑下するのではなく「自由な感覚が芽生え」ること、こういう感覚の方が確かに若々しい。そういう感覚になれることがうらやましいと感じた。
 しかしである、この引用の直後に唐突に「人間にとって絶対であるのは〈誕生〉と〈死〉だけであって、途中の年齢はすべて相対的なものに過ぎぬ、との思いが強く湧いた。」というのには驚いた。唐突な言葉が強引に繋がっていることへの驚き。
 もう一つは、私は「人間にとっては〈誕生〉は自分には選択権はなかったし、〈死〉にもない。ただしその途中のことはすべて自己責任、そこにこそ〈絶対〉がある」と教わり、実践してきたつもりであることからくる驚きである。
 親から与えられた〈誕生〉と、親の遺伝子を引継いだ〈自然死〉や社会から強いられた〈死〉を「絶対的」なもの、という捉え方・記述は否定はしない。私は「相対的」と表現してきたが。しかし「途中の年齢はすべて相対的なものに過ぎぬ」という表現は寂しい把握だと感じた。
 途中の年齢にこそ〈生〉の本質はある、そこにこそ人間にとっての「絶対的価値」が存在すると思いたいものである。

 同調と、知らなかった考え方と違和感とをないまぜにして楽しめるエッセイである。


「春画のからくり」 1

2024年06月09日 17時46分09秒 | 読書

   

 一昨日から読み始めたのは「春画のからくり」(田中優子、ちくま文庫)。「日本の裸体芸術 刺青からヌードへ」(宮下規久朗)とは少し違う視点で、春画を扱っている。春画は必ず衣服を纏った姿で描かれたが、その根拠を説明してくれる。二つの本は同時に目をとおすと私には良く理解できる気がする。
 ことにこちらは江戸時代の浮世絵の春画に焦点をあてて、そのうえ構図や、他に描かれた室内などの調度品・衣服などにも大きな意義があることを解説してくれる。客観的な分析的解説に惹かれて選んだ。

(鳥居清信は)「隠して見せる」と「見せて隠す」の二重の往復運動を仕掛けている。女性は緋色の腰巻をつけたままである。座敷には床の間があって、花が生けられ香袋が置かれている。また覗いている女の着物は蔦の葉の文様・・。春画がのちのポルノグラフィーと異なる点は、空間の開放性からくるのびやかな点と、性交以外のあらゆる日常性に対して開かれている(性交以外の眼の行きどころを設定してある)ことからくる、開放的な点である。春画が必ずその「のびやかさ」の仕組みを持つことは、春画を見る者がそれを求めたカラであろう。」(「春画の隠す・見せる」の「「隠す・見せる」の深化」)


読了「図書6月号」

2024年06月07日 21時24分17秒 | 読書

 今月号で読んだのは、次の11編。

・本も生きている        笠井瑠美子

・虫供養            養老 孟司

・伊勢神宮造替の謎       ジョルダン・サンド
現在の神宮の状態や、技を尽くした造替をみれば、変化することなく伝統に忠実に進められてきたと創造しやすい。この見方の背後には、様式の真正性という現代的な周年が潜んでいる。「伝統」はなからず紙も完全な複製を狙う保守的なものとは限らない。伊勢こそ、永井歴史の中で変動の波にさらされ、工法の即興と革新もあった。大工たちは先例に倣いながらも、造替のたびに、その時代の技術と状況に応じた解決策を編み出した。
往古の伊勢神宮が結局どのような建築だったかは謎のままと言わざるを得ない。伊勢神宮の建築は、朝廷の資金問題や遷宮の中断など、様々な異変だけでなく、各時代の信仰、嗜好、希望にも影響されながら、絶えず変化してきた・・。
 予想されているとはいえ、資料的にきちんと踏まえた論稿は信頼できると感じた。

・継がれる想い         栖来ひかり

・ウクライナの歌手と「人魚姫」  岩切正一郎

・母といっちゃん        出久根 育

・路上より(下)         柳  広司
「(イスラエル大使館前の抗議行動について)「効果があるからやる、ないからやらない等というのは、資本主義の肥溜めに鼻の下までどっぷり漬かった者の屁理屈だ。効果があろうがなかろうが、やるべきと思えばやれば良い。そうでなければ楽しく生きたとは言えない」(堺利彦) 資本主義勃興以前、人の行動基準は効果の有無ではなく真善美だった。正しいからやる。良いからやる。美しいからやる。そんな生きかたも悪くない
 前提がない断定は、反対の意見を持つものにも力を与えてしまうし、アジテーションに堕してしまうので、あまり一般化したり声高に言ってしまうのは避けたい。一応思いは伝わるので、取り上げておこう。

・娑婆、嘘が相場やし  方言と予言   前田 恭二

・ガガの我・各々の我          川端知嘉子

・「この国の自由」 海洋国家の成立    前沢 浩子
 シェークスピアの作品をイングランドのその時代の社会のあり様から解説されるのは読み応えのある論稿である。今回は「ヴェニスの商人」が実は当時のロンドンという都市の置かれた状況であるとの、登場人物に即した解説である。次回以降にも期待。

・失われた「エジプト旅行記」      西尾 哲夫


読了「日本の裸体芸術」

2024年06月07日 20時02分38秒 | 読書

    

 「日本の裸体芸術 刺青からヌードへ」(宮下規久朗、ちくま学芸文庫)を読み終わった。

文明国からの賓客が刺青を入れたがるのは、外国人の目を気にして刺青を禁じた明治政府にとっては皮肉な現象であった。浮世絵の芸術性への評価も、欧米の評価が逆輸入されてから始まったことと似ている。第二次世界大戦後、軽犯罪法から刺青禁止令が除外されたのは、GHQの高官が強く主張したから・・。刺青は欧米清の視線を気にして禁止され、欧米人の指示によって解禁された。近代の刺青の運命は日本の対外事情によって翻弄された。」(第5章 第2節)

刺青という芸術は生きた人体のはりのある肌と赤い鮮血を通してのみ存在する。年をとるにつれて退色するし、太ったり痩せたりすると図像が変化する。禁じられたり、生身の人間に描かれた刺青の美しさが失われたとき、刺青という芸術も廃れる運命になった。」(第5章 第2節)

もともと日本には、人格や精神と切り離した身体という発想がなく、それをいっしょにした「身」という概念しかなかった。西洋のように肉体を自家や精神と切り離した物質のようにみなす思想がなく、肉体と精神が不可分の関係にあったから・・。刺青こそ、日本の身体観に即した芸術、「身」そのものを芸術に昇華させた・・。西洋のヌード芸術が、人間性を除去した肉体美を称揚したものであったのに対し、肉体美にさしても貴を置かない日本人はそれになじめず・・、本来は切り離せない精神と身体とを無理に分離してしまう心身二元論に基づく肉体という思想ではなかったろうか。」(第5章 第3節)

刺青を入れた裸体は、単なる裸体ではなく、衣を着た状態に近い。衣服も刺青もアクセサリーもおなじような装身の術であり、衣の代表である。刺青が顔や手ではなく、衣に隠れる部分に施されること、刺青の色が着物と同じく濃い藍色をしていること、人前で裸になって労働する人々がもっぱら刺青をしている。政治政府が裸体を信じて無理に衣を着用させたことから、刺青は衣の代用という元の意味を失ってしまった・・。刺青を入れた裸体は、単なる裸体ではなく、凝視に耐えうる強度を獲得している。刺青と衣服が近い関係にある・・。」(第5章 第3節)

わが国はヌードを芸術として消化吸収したというより、芸術という制度を移入する過程でヌードをはびこらせてしまったに過ぎない。・・・芸術として制作しても展示が許されなかった戦前の画家たちは・・一部の例外をのぞいて芸術として自己主張できるようなヌード芸術を確立できなかった。・・戦後の美術家たちは、ヌードというジャンルを所与のものとして、日本の文脈や風土に憂慮するといった葛藤や困難もなく制作しつづけた。その結果、戦後の公募展の会場や公共空間には、創意工夫の見られぬヌードの油彩画や彫刻が氾濫することになった。」(終章)


 「刺青を入れた裸体は、単なる裸体ではなく、衣を着た状態に近い」というのはとても魅力的な指摘、卓見であると感じている。
 また街にあふれる女性の裸体彫刻に私はあまり意味を感じないので、その原因についての指摘は頷ける。
 しかし「戦後の美術家たちは、ヌードというジャンルを所与のものとして、日本の文脈や風土に憂慮するといった葛藤や困難もなく制作しつづけた。」という指摘には留保したい。「葛藤」のなかった「芸術家」の作品が街にあふれたのであり、そうではない「芸術家」の存在、「芸術」という制度に繰り込まれなかった自覚的な「芸術家」の存在も俎上に載せる必要も感じる。次の論稿に期待したい。


明日からの読書

2024年06月06日 23時03分55秒 | 読書

 夕食後からは、「図書6月号」の文章をいくつか読み、退職者会のホームページに記事を3つほど掲載する作業を実施。
 体には「休養」となったが、思考力はまだ休養になっていない気分。頭の中が霞んでしまってはこまるので、明日から少しずつ読書を本格化したい。「日本の裸体芸術」の最後の部分の引用や感想をアップする作業をしたいもの。また「図書6月号」も読み終えてしまいたい。

 「日本の裸体芸術」のあとは「春画のからくり」(田中優子、ちくま文庫)を選んだ。「刺青」への言及を覗いて内容は似通っており、著者の違い、あるいは同一の指摘など読み比べて探ってみたい。

 明日は横浜市立市民病院である。天気は良いようだ。


何年かぶりに「神奈川大学評論」

2024年06月06日 17時15分42秒 | 読書

 朝から体がだるく、出かけるのが躊躇われていた。たまたま予定が入っていないので、「休養日」と決めた。
 午前中は再来週に予定されている退職者会の幹事会に提出するニュース発行のためのタイムスケジュールと記事内容などの資料を作成。A4のペーパー1枚はすぐにできた。



 午後はボーッとテレビを見て過ごした。あまり体を動かさないのも嫌なので、神奈川大学の生協まで歩いて書籍部で「神奈川大学評論第104号」(発行は昨年11月)を購入。この「評論」は年3回刊行。
 表紙の作品は日高安典《裸婦》(無言館蔵)。特集は「表現」、窪島誠一郎・斎藤美奈子両氏の対談が掲載されている。
 帰りに途中のドラッグストアで頼まれた食料品を購入。往復で5000歩ほど。

 明日の午前中は市民病院の予約が入っている。


読書予定と退職者会ニュースの作成日程

2024年06月05日 21時37分45秒 | 読書

 ようやく帰宅。友人と軽く飲むつもりであったが、それなりに飲んでしまった。誘惑に弱いのが悲しい。
 会議の合間に「日本の裸体芸術」(宮下規久朗)を読み終えることが出来た。新しいことを知ったこともあるし、不満なところもあるが、末尾の刺青の論稿については、惹かれるものが多くあった。引用や感想はまた後日にしたい。
 そして次に何を読むか、まだ決めていない。いろいろと選択するのもまた楽しいものである。

 明日以降、そろそろ退職者会ニュースの7月号のスケジュールや記事の内容について案を考えていかないといけない。この1か月の行動の振返りをしながら、記事の取捨選択、メイン記事の選定など少し慌ただしく、決めていきたい。

 


「日本の裸体芸術」(宮下規久朗)  5

2024年05月31日 20時58分22秒 | 読書

 髭剃り(シェーバー)を購入後、喫茶店で一服。妻は食料品などの買い物へ。私はしばらく喫茶店で読書。

   

 「日本の裸体芸術」(宮下規久朗)の第4章「裸体への視線 自然な裸体から性的身体へ」を読了。第2節以降、駆け足で「現在抵抗なく受け入れられているヌードが定着するまでの近代日本のヌード芸術家たちの困難な歩みを振り返って」いる。
 他にも気になった部分もあるが、とりあえず2個所、私なりに同意できた個所から。

裸体モデルや、現実の日本人モデルをどのように造形化するかという問題は、戦後、日本人の体形がすっかり欧米化し、・・・極端なデフォルメも前衛思想も必要なくなったのだが、裸体を描くときに西洋人風に修正していまう癖は完全には払拭できていないように見える。戦後、ヌードの舞台は絵画や彫刻よりも写真に移ったため、絵画や彫刻での試みはもはや時代遅れのようになって注目されなくなった・・。

(荒木経惟は)、女性の肉体だけを撮るのではなく、モデルの生活臭や人生の哀感を漂わせたり、・・女性の人間性をともに写しているように見える。・・写真家との個人的な関係が見えて部外者に追いやられるためであり、モデルの女性の〈個〉が見えてしまって感情移入ができないからであろう。精神や人格の分離した肉体ではなく、日本的な心身一体の「身」の表象となっている。

 


「日本の裸体芸術」(宮下規久朗)  4

2024年05月29日 20時59分16秒 | 読書

   

 本日までに「日本の裸体芸術」(宮下規久朗)の第3章「裸体芸術の辿った困難な道」を読み終わり、第4章「裸体への視線」の第1節「見えない裸体」まで目をとおした。

ミシェル・フーコーは、性について語る人はつねに権力による性の抑圧について語りたがる。傾向があることを指摘し、そうではなく、なぜ性が否定され、いかにして罪と結びついてきたのか、という本質的な問題について考えなければならないと述べている。日本の裸体芸術が困難な茨の道を歩んだのは、権力の乱用のせいばかりではない。文化や社会、あるいは美術のあり方の中に裸体画と相容れない問題があったのであり、こうした内在的な問題を考えることこそが重要である・・。」(第3章 末尾)

日本には裸体美という概念はなく、これをわざわざ見るということは体的な関心と結びついていたのである。三田村蔦魚によれば、裸体を鑑賞することがなかったわけではなく、それは種に「いかがわしい好奇心から」であった。風呂屋の混浴はたびたび禁止されながら、ずっと行われており、男湯と女の湯の区別のあるところでも、その境界は簡単なものでその気になればいくらだも覗くことができた。しかし、それは「みっともない」行為であり、「・・・卑劣な行為と見做していた」という。・・男女混浴には不文律のおきてがあり、それを犯したものは社会的に無言の精細を受けねばならなかったという。大半の日本人にとっては、浴槽の裸体はわざわざ見るものではなかった。あえて覗き見るという行為は、禁じられているがゆえにエロティシズムを誘発するものであった。」(第4章)

裸体を凝視する(西洋人などの)野卑な視線に対しては、裸体は隠さなければならないものとなっていく。少なくとも外国人の前では避けたほうがよいものとして、人々の意識に刻み込まれた。外国人のまなざしによって、日本人も裸となることは羞恥心を伴うようになり、自然であった裸体が性的身体に変容してしまった。」(第4章)

 第4章からの引用部分は、大方私も同意できる。もう少し、具体例や西洋との比較例などを使った記述も欲しいがそれは無いものねだりというものだろう。
 しかし以前にも記載したが、「裸体」が江戸市中でも広範囲に見られたといえども、職人などの庶民レベルであり、裕福な人々やそれなりの武士等の身分のいわゆる「上層部」の人々の意識との落差についても検証が必要な気がする。
 以下の指摘はとても魅力のある論であるけれども、日本だけの特質と断定してしまうわけにはいかない。

近代以前の世界においては、今ほど視覚が優位にはなく、聴覚、触覚、嗅覚なども非情に重要な役割を果たしていた。電灯のない家屋は昼でも薄暗く、顔も人体もはっきり見えることは少なかったに違いない。こうした幽暗な空間の中では、官能はいまよりもずっと触覚によって刺激されたであろう。浮世絵の春画に見られる身体が不自然であり、ながら許容されたのも、当時の人々の性愛のイメージが視覚的なものだけでなく、触覚的な要素や妄想に大きく依存していたからではなかろうか。・・・いずれにせよ、生活風景の中に裸体画あふれながら、それをしっかり「見る」という体験は近代以前にほとんどなかった。」(第4章)

 「暗さ」は日本だけではない。西洋も世界中どこでも同じであった。少なくとも1879年のエジソンの実用的な白熱電灯の普及開始までは。白熱ガス灯も1886年以降である。日本で言えば「開国以降」、それも明治10年代以降である。蝋燭や油脂による灯りから電気・ガスに切り替わったのは西洋も日本もほぼ同時期ということになる。
 文化の基層となる古代や中世や近世も、共通に「触覚的な要素や妄想に大きく依存して」いたのになぜ、違う状況になっているのだろうか。解明はなかなか困難であるようだ。

 

 


「老いの深み」(黒井千次)から 2

2024年05月26日 10時24分33秒 | 読書

 「老いの深み」の中で、「八十代の朝と九十代の朝」で次のように記されている。
 八十代の頃は朝、ベッドに腰かけていると、「子供の頃の空気がよみがえり、今はこの世から遠く去った両親や祖母や兄のことなどが自然に思い出されて来る。
 しかし九十代になって「寝起きの際に出会うのは、そんな透明な甘美で優しい時間ではない。・・今、何時だろうという問いが自分の中に起き上がる。
 この違いを著者は、「八十代の老いが持つ詩的世界は歳月とともに次第に変化し、いつか九十代の散文が抱える世界へと変化していくのではないだろうか。
 と記している。
 〈老い〉は「時間の量的表現ではなく、人が生きつづける姿勢そのものの質的表現でもあることを忘れてはなるまい。老人は生きている。美しい沼も、乾いた数字も踏みしめて――。〈老い〉は変化し、成長する。

 この記述に惹かれた。「詩と散文とを単純に対立」的に捉えたり、〈老い〉を「経年変化のシルシとしてけとめようとするか」という思考にならないのがなかなか「しぶとい」。

 私は逆ではないか、と考えていた。現役時代をひきづっていた60代前半は、「今日は何曜日で、今は何時か、今日の予定は・・・」と思っていた。そして次第にその思いから遠ざかり、70代前半の今は「本日読む本は何にしようか」と思う。これから先私は、「身内などの家族のことが毎朝思い浮かべたり、若い頃に読んだ詩や小説などのことを思い浮かべるのではないか」と思いこんでいた。
 〈老い〉とともに、どんな変化が寝起きのときにあるのか、考えてみる参考になる。


「日本の裸体芸術」(宮下規久朗)  3

2024年05月24日 20時20分50秒 | 読書

 いつもの喫茶店に行ったものの、本日も短時間の読書。「日本の裸体芸術」の第2章を読み終わった。
 19日に引用する予定個所が抜けていた。

裸体でいることが多いという習慣や、日本人の精神と肉体を二分して考えない身体観が底流にあったため、あえて裸体を取り上げて鑑賞するという視点や発想がなかった。裸体をことさらに造形芸術の主題にしようなどとしなかったのは当然であろう。人物を描写するときには、文字においても絵画においても、体形やプロポーションなどよりも衣装の美が強調されるのが常であった。そもそも日本の造形伝統には、肉体を顕示するような表現がなかった。ほとんどの場合、人物は衣をつけた姿で表されたが、このほうが自然である。私たちがある人物を想定する場合、その人物の裸体を思い浮かべるのではなく、衣装をまとった姿を想起するのが普通である。むしろ裸体人物を飽くことなく表現してきた西洋のほうが特殊である。」(第1章 第2節「江戸の淫靡な裸体表現」)

 「裸体でいることが多い」「精神と肉体を二分して考えない身体観が底流」というのは魅力はありつつも、言い切ってしまうのは保留したくなる。あくまでも「裸体をことさらに造形芸術の主題にしようなどとしなかった」ことの根拠や背景を私は知りたい。
 古代のギリシャ文明、中世・近世のヨーロッパの庶民・下層民の生活様式との比較ももう少し具体的な究明が欲しいのは欲張りだろうか。また支配層の生活様式と意識の比較も必要なのだろう。
 ここはあくまでも私のこだわりなので、引き続き私なりのアプローチは続けたい。


「日本の裸体芸術」(宮下規久朗)  2

2024年05月23日 21時21分33秒 | 読書

   

 本日まで読んだのは、「日本の裸体芸術 刺青からヌードへ」の第2章「幕末に花開く裸体芸術」の第1節「菊地容斎の歴史画」、第2節「生人形に見る究極のリアリズム」、および第3節「過渡期の折衷的な作品群」の途中まで。

春画では身体が喪失しており、頭や性器が分節化されていて全体を形づくっていないのは、日本では性愛の観念が、視覚的なイメージだけでなく、触覚的で観念的なものに基づいていたためと見ることもできよう。養老孟司氏は、春画における身体の歪曲は、成功時の人間の脳内における生殖器の大きさを考慮して描いたものであるためという。春画は性行為のイメージや女性の秘部の美しさをしめしたものというよりは、触覚や妄想を含めた欲望の世界を開示したものであったといえるだろう。」(第1章「ヌードと裸体」第2節「江戸の淫靡な裸体表現」)

(丸山応挙の《人物正写図巻》について)ヌードではなく、理想化をほどこさないありのままの裸体にほかならなかった。裸体が美とかけはなれたものであり、あえて鑑賞すべきものではないと再認識してくれる。日本で裸体が表現されるときには、ほとんどの場合こうした淫靡さや後ろ暗さがつきまとっていたのである。」(同上)

黒田清輝以降の洋画家たちは西洋的なヌードの概念を学んだのだが、・・・日本で裸体が登場するときの伝統的な主題は無視され、顧みられることはなかった。・・生人形から豊かなヌード芸術への自然は発展の道は閉ざされた・・。日本のヌード芸術には、生人形の記憶は何らの痕跡もとどめていない。裸体に理想美を見出す西洋のヌード観とは最初から相容れなかったのである。」(第2章「幕末に花開く裸体芸術」、第2節「生人形に見る究極のリアリズム」)」

「裸体に理想美を見出す西洋のヌード観とは最初から相容れなかったのである。」ここがどのように展開されるのか、私のもっとも解明されてほしいところである。どのようなアプローチが続くのだろうか。