本日初売りで大混雑の横浜そごうの6階にあるそごう美術館で「ミュシャ展 マルチ・アーティストの先駆者」を見てきた。会期は明後日の5日(日)まで。会期末と年初めということで混雑が心配であったが、それほどではなかった。ミュシャ展の割には人は少なかったのではないだろうか。
国立新美術館で開催された「ミュシャ展 スラブ叙事詩全20作」は大変な混雑であった。あれからもう7年半以上経っている。
スラブ叙事詩も見ごたえはあったが、今回はパリ時代の初期のポスターなどが中心の「チェコ在住 個人コレクターのズデニェク・チマル博士」のコレクション展という。
7年前にも展示されていたミュシャのデビュー作ともいえるポスター「ジスモンダ」(1894)も展示されている。
《花》 《四季》 《一日》
他の図録などを見るとミュシャの作品では連作パネルがなかなか気に入っている。今回は《花》(1894)、《四季》(1896)、《一日》(1899)、《星》(1902)が展示されていた。
2017年の時に惹かれた《四つの花》(1897)は今回展示が無かったのは残念であった。
しかし今回展示されている《花》は《四つの花》よりも色彩が鮮やかで、人間のポーズも動的、花の配置も効果的に見え、私は好感を持った。
アール・ヌーヴォーという世界性のなかで芸術活動を花開かせたミュシャが、実在するかのように感じとってしまった「スラヴ」という幻想の共同体。芸術家は目に見えないものを浮かび上がらせる、と言われる。それが浮かび上がった時代は歴史的な必然ではあったと思うし、それを絵画に収めたミュシャという芸術家は優れた時代感覚を持っていた。しかし、残念ながら21世紀の現在、無残な形でその幻想は惨劇とともに解体されようとしている。
単純に言い過ぎているが、「民族」という呪縛からの解放は残念ながら方途は見つからないことは確かだ。