Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

長谷川リン二郎(その3)

2010年06月07日 23時51分39秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
「猫」1966


 長谷川リン二郎の髭の無い猫は、不思議な絵だ。確かに髭がなくて顔のバランスは悪い。あれに髭を書き加えるのは確かになかなか難しそうだ。先が曲がってしまうのか、また白い髭がどのように輝くのか、どんな色に見えるのか、興味は尽きない。あの姿勢を再びとってくれないと描けないというのもよくわかるような気がする。
 しかし黒の縞模様がなんとも良く描けている。四肢と尻尾を体の一部のようにまとめて寝る仕草もよく観察をしている。多くの評者が、長谷川リン二郎の絵は「中心がない」「全ての要素・対象物が等価に扱われている」から「不思議な雰囲気となっている」と指摘する。
 確かに私もそのように思う。この絵も猫の顔からしっぼの先まで全てにおなじエネルギーの視線が感じられる。そして縞模様によって、猫の息遣いで体が微かに動いている錯覚すら覚える。
 そしてなによりも背景の色の処理が何とも安定感を示す。赤と灰色のコントラストが、猫の黄色と黒、そして白といづれの色とも、ほどよく釣り合いが取れていると感じる。

土門拳を見る・読む(8)

2010年06月07日 09時31分57秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
浄土院養林庵欄間透彫1966
 この写真をはじめに見たのはいつ頃だったか、十数年前か、もっと前だったか。そのまばゆい輝きに驚いたことはよく覚えている。
 まず葉の形の黒さに目を奪われた。黒いというより暗黒のブラックホールのように抗しがたい力に引き込まれるような誘惑・錯覚を味わった。大げさといわれるかもしれないが、目を近づけて見ないわけにはいかない力を感じた。
 葉の形の白い縁取り、これは板の厚みに強い光が当たって反射しているためだ。この縁取りが、暗黒を際限なく強調している。
 不思議なことに、右の方のふたつは向こう側に何かが写っている。強い光だけの提示ならこれはカットする場合もあろうが、そんな薄っぺらなことをしていないのがこの写真の価値だとおもう。黒の吸引力をがより強く感じる。
 次に目がいくのが、板目の間隔の細く繊細な曲線と、微妙にたゆたう線の流れだ。
 明暗を際立たせる強い光と、繊細な木目の紋様。一見相反するものを融合しておさめている。
 その融合の役を果たしているのが、上に述べた右側の葉の向こうに写っている淡い陰だとおもう。
 板目の線を一本ずつ追ってゆくと、下の黒い強い線に当たり、美しいバイオリンのf孔と板目と錯覚する。私だけの感覚だろうか。樹林を抜ける風の音がやはり似合うのだろうか。和の笛だけが似合うのか。
 否、思い切ってヘンデルのバイオリンソナタを部屋から欄間を通して外に向かって響かせてみるのも悪くない。チェンバロの音も日本の庭に合うような気がする。