死の前年と死の年に作曲された二つの弦楽五重奏曲。死の年の曲としてレクイエム、ピアノ協奏曲27番とともに、モーツァルトの中ではよく聞く曲に含まれる。
私の持っているのは、1989年版のメロス弦楽四重奏団+ピエロ・ファルルリというビオラ奏者を加えたもの。弦楽五重奏曲全6曲を収録している。この2曲をよく紐解く。
私には、作曲者が経済的にも苦しく、しかも体調を崩して、苦しみながら作った曲にはどうしても思えない。それが天才の天才たる所以なのだろうが、曲全体が秋の透明な明るさと、それこそ落ち葉の散り際のような軽快さを感じる。暗い冬など、陰鬱な閉塞感を伴っていない。
音と自由に遊んでいるような軽快な躍動感がうれしい。以前に取り上げたピアノソナタ14番~18番とまた違うモーツァルトに感じる。ただ友人に言わせるとそれも含めて、モーツァルトの自由さなのだという。だが、そんな言い方をしてしまえば元も子もなくなる。
形式・調性・和声・対位法等々、私はいつも楽典の本を読んで挫折し続けたので、論じる能力はまったくないが、形式を我が物としているモーツァルトが、その上で実に自由に行き来して、楽しんで音を紡いでいると感じる。
私の持っているのは、1989年版のメロス弦楽四重奏団+ピエロ・ファルルリというビオラ奏者を加えたもの。弦楽五重奏曲全6曲を収録している。この2曲をよく紐解く。
私には、作曲者が経済的にも苦しく、しかも体調を崩して、苦しみながら作った曲にはどうしても思えない。それが天才の天才たる所以なのだろうが、曲全体が秋の透明な明るさと、それこそ落ち葉の散り際のような軽快さを感じる。暗い冬など、陰鬱な閉塞感を伴っていない。
音と自由に遊んでいるような軽快な躍動感がうれしい。以前に取り上げたピアノソナタ14番~18番とまた違うモーツァルトに感じる。ただ友人に言わせるとそれも含めて、モーツァルトの自由さなのだという。だが、そんな言い方をしてしまえば元も子もなくなる。
形式・調性・和声・対位法等々、私はいつも楽典の本を読んで挫折し続けたので、論じる能力はまったくないが、形式を我が物としているモーツァルトが、その上で実に自由に行き来して、楽しんで音を紡いでいると感じる。