今では文庫本はすべて現代仮名遣い、日本語の古典は大きな本屋でも棚から消えてしまっている。二昔前までは新潮社の古典集成や岩波の古典の体系など数は少なくとも置いてあったが、最近はまず見ることはなくなった。日本の古典に接する機会がますます減っている。
源氏物語などのいわゆる女房文学は、私自身もなかなか手に負えないが、それでも何とか読みこなせる。「下手な鉄砲も」式に手当たり次第、強引に読んでいたらいつの間にか、女房文学以外は何とかそれなりの速度で読めるようになった。「源氏物語」や日記物、「とはずがたり」なども読み通してはいないが、最低限の注釈があれば何とか大意は掴める。
大学の入試に古文が不要となったのだろうか。最近は高校生が電車の中で読んでいる参考書を見ても古文の参考書は見かけないような気がする。とてもさびしい気がする。
日本の古代国家成立や文字社会の成立が7世紀と新しいが、それでもそのような社会の成立前後の詩歌が万葉集という形で古代の息吹を残している歴史はまれなのであり、古文の素養がもっと流通するようになってほしいといつも思っている。現代の短歌や俳句もそれらとはまったく無縁な存在ではないはずだ。そして岩波文庫の日本の古典物以外にももっと日本の古典が手に入るようになってほしいと思う。
源氏物語などのいわゆる女房文学は、私自身もなかなか手に負えないが、それでも何とか読みこなせる。「下手な鉄砲も」式に手当たり次第、強引に読んでいたらいつの間にか、女房文学以外は何とかそれなりの速度で読めるようになった。「源氏物語」や日記物、「とはずがたり」なども読み通してはいないが、最低限の注釈があれば何とか大意は掴める。
大学の入試に古文が不要となったのだろうか。最近は高校生が電車の中で読んでいる参考書を見ても古文の参考書は見かけないような気がする。とてもさびしい気がする。
日本の古代国家成立や文字社会の成立が7世紀と新しいが、それでもそのような社会の成立前後の詩歌が万葉集という形で古代の息吹を残している歴史はまれなのであり、古文の素養がもっと流通するようになってほしいといつも思っている。現代の短歌や俳句もそれらとはまったく無縁な存在ではないはずだ。そして岩波文庫の日本の古典物以外にももっと日本の古典が手に入るようになってほしいと思う。